直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

情報で傷つかない心を守る選択を

コロナの制限が落ち着いて
年末年始の帰省もできる。

そんな新年の元日から地震と災害、そして航空機事故まであって
当事者ではないのに不安な気持ちになる。

 

人としてどうかと思ったけれど
昨年からの体調を考えて、意識的に情報を入れる量を減らして過ごした。

 

これは東日本大震災の時の教訓で。

2010年は家族の闘病にガッチリ向き合った。
前の年に自分の闘病にガッチリ向き合うしかなくて
震災の前月に家族を看取りひと区切りした矢先、
友人達と出かけた先で大きく揺れた。


帰宅できないと判断した後は友人宅の大画面テレビで
現実と思えないような津波や火災の映像を長時間見つづけることになった。

災害当事者ではないにもかかわらず、
震災の映像や先日の状況を見せるニュースに
わずかながらフラッシュバックのようなことが起こる。

 

2011年は世の中全体が自粛の空気を纏って
明るい情報を流すことさえ制限されたようになって
変に人を助けようと考えたり、気持ちを切り替えようとしたり
無理な善行をしようと考えたりして
反動で落ち込んだりしていた。

思い返せば暗いことばかりではなかったのだけれど
明らかに情報過多だったと思う。

支援に動く人、辛い状況の人達の映像や声や情報を見て
無力なことを受け入れられなくて
身の丈に合っていないことをしなければならないと思っていた。

病み上がりで家族の伴走もして看取って
充分大きなショックを受けている状況だったのに
まだまだ足りないと言われている様な気になった。

 

そういう気持ちになりやすい状況だったと今ならわかる。

 

10日経った今になって元日の震災の映像を見ても
翌日の航空機事故の様子を見ても涙が流れる。

 

支援は間違いなく必要。

だけど。

 

今一番私に必要なのは
義務的に情報を集めて
辛くなったり苦しくなったり
誰かと言い争ったりしないことではないだろうか。

無駄に傷つかないように過ごすことも必要なのではないだろうか。
そう考えて、意識的に情報を入れる量を減らしている。

 

そして自分にできる支援を考える。できるならば動く。

「できるならば」が大事だと思う。

 

テレビやネット上の情報は相手を選ばず発信されるもの。
優先度が高い被災地に関する情報は今とても多い。

受動的に受けていると、自分の事でなくてもダメージを受ける。
本当に自分に必要な情報かどうか確認すること
不要なら集めすぎないことが
心の被害を増やさないための対策なのではないだろうか。

 

じっとしていられないと支援に動く人を見ても
今動けないことが罪だと思う様な心境なら
休むことや日常を穏やかにすることが優先だと思う。

自分や誰かを責めたくなっていたら
明らかに情報から離れるべきだ。

今はそういう発言が目に入る仕組みがありすぎる。

 

まず自分が人を助ける余裕があるのか、
特に心に不安がある人には
自分に聞いてほしい。

恐いものや不安なものが認識出来たら
意識的に離れてほしい。

人間は原始的な仕組みで
恐いものを命に関わる危険とみなし
確認しに行こうとするからだ。

実際命に関わる程のものかは、
離れて冷静に確認しても間に合うものが殆どのはず。

 

実際の所、人のためになろうとする人ほど
自分の生活や時間を犠牲にしても
こういう時に動こうとするし、
平時に戻ったとしても、自分を小さく扱う可能性がある。
仕事だからと理由をつけている時も、
本当にそうなのか疑った方が良い。


日本中の人がこの数年で
100年に1度の危機と言われた新型コロナウィルス感染症に対応し
他国で戦争が次々起こる情勢も当たり前に目にして
災害や事故にあった人たちの声も受け止めて
そのすべてを助けなければと云わんばかりの情報を毎日処理して
流行の情報も刺激的なゴシップもチェックして
誰が正しいのアイツが悪いのと言い争う文字を毎日読んで
老後はどうなる何が儲かる詐欺に気をつけろと
そのすべてを知っておくべきだとか
ちょっと書き出しただけでぐったり疲れる位
頭も体もこき使っている。

 

感情的な発言や発信に振り回され
心のしくみも自分を守る術も知る機会にもなかなか出会えない。

今は心が暴れ出すあらゆるケースを見せつけられているようで
心を守る「防御力」を復習する時期だと感じる。

 

自衛隊の皆さんが徒歩で物資を運ぶ姿を見て
とにかく頭が下がる思いで
被災され寒さや不安の中で過ごす方のお気持ちは計り知れず
ご無事を願うしかないけれど

少なくとも無用な争いをしたり人を傷つけるようなことがないよう
口ばかり出して支援の動きを邪魔しないようにするのも
見栄を張らずできる一歩だと思って過ごす。

これからできる支援は段階的にあるはずで
今は過剰なショックを受けないように過ごしたい。

こういう時に日々の健康や暮らし向きは本当に大事だと
一度壊れたものが戻らないもどかしさを感じる。
そしてそう感じる経験があるからこそできることを見つけたい。