直子の部屋

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静岡の伝統芸能と演芸:昭和38年の演芸プログラムから見る歴史のひとこま

静岡の芸能史を知りたくなって

先日、国立劇場の図書閲覧室へ行って、「静岡県芸能史」を読み、静岡県内の伝統芸能について興味深い情報を得ました。徳川家康能楽の縁が深く、『駿国雑志』にも関連する記録が多く残っていたそうです。また、歌舞伎についても、出雲阿国をはじめとする女歌舞伎や野郎歌舞伎が根付いた時代には、風紀が乱れてしまうほど盛んだったそうです。そういったことから、女歌舞伎は二丁町に繋がる花街の形成にも関係していたのだとか。

さらに、人形浄瑠璃は大阪と競い合った土地で、一時期は大阪から修行でやってくるなどして交流が持たれた時代もあったそうです。

静岡県内の芸能は江戸時代以前から盛んで、民俗芸能だけでなく伝統芸能に関する記録も多くあったことがわかり、歴史の一端を知ることができました。

またその日は静岡市公会堂での昭和38年の演芸プログラムも調査しました。落語、漫才、歌謡に抽選会と豪華な会でした。その時の出演者には、落語家の古今亭今輔師匠も含まれており、静岡で行われた落語会のプログラムが残されていることに驚きました。

もう一つ場所が特定できていない三遊亭圓生独演会のプログラムも見ましたが、私が調べているもう一つのホールではないかと思っています。もしそうなら「寄席切絵図」で圓生師匠が書かれていた通り!と言えるのですが、戦後に静岡市内に建てられた劇場やホールについての情報は限られており、詳細な資料が見当たりませんでした。今後、もう少し図書館などで情報を収集していきたいと思います。

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この日はお天気も良く桜も楽しめました

余談:ChatGPTデビュー作

ちなみにこの記事、ChatGPTを使ってみました。初めて使って早々にブログで試しているので、以前の記事にくらべると違和感はありますが、本文はおおよそ書いたものから整える作業、タイトルは本文から生成。その後に内容をチェックして手直ししています。昔のことを調べる時間を増やすために新しいアシスタントに助けてもらうのは我ながら面白いアイデアかもしれません。まだ記事を書く時間の短縮はわずかなものですが、つきあい方を試しながら、優秀なアシスタントに引き続き手伝ってもらおうと思います。