直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

「猫餅」調べてみた。掛川と駿府の甚五郎? 圓窓師匠の「いただき猫」も聴いてみたい。

推しの兼好師匠が来年の落語会で
「身投げや」「猫餅」をネタ出ししている。
どちらも生でも音源でも聴いたことがなくて気になる。

聴く前にあれこれ調べることはあまりないのだけれど
「猫餅」は猫が入っていて知らない噺で調べてみた。

 

三遊亭圓窓師匠が「いただき猫」という名前で
講談や浪曲の「猫餅の由来」から作った話があるらしい。

圓窓五百噺ダイジェスト 101 [いただき猫(いただきねこ)]

甚五郎もので舞台は掛川
静岡の話、職人の話、猫の話で興味津々。

あらすじを読んでみたら圓窓師匠の音源で聴いた「叩き蟹」を思い出す。

浪曲では澤孝子師匠の「猫餅の由来」、玉川奈々福さんが国友忠先生から受け継いだ「小田原の猫餅」があった。筋は似ているところも多いが舞台は違う。
浪曲の世界は呼び方ルールを存じ上げないので師匠先生さん付け混在でごめんなさい)

「猫餅の由来」の舞台は掛川、「小田原の猫餅」も途中で駿府が登場する。甚五郎は江戸初期に活躍したといわれていて、東照宮の仕事もしているし、駿府で家康が行った浅間神社の慶長年間の社殿造営に参加していたことにしたい。

圓窓師匠の「いただき猫」も、奈々福さんの「小田原の猫餅」も話の筋が似ているけれどそれぞれ演者の創作が入っているという。なのに掛川駿府静岡市)と知った土地が登場するのが楽しい。

GHQ占領下の大衆芸能への統制 浪曲界を支えた宝物、国友忠の創作「小田原の猫餅」 | 演芸のまわり、うろちょろ。

浪曲の有名演題がわかった気になる解説その4「左甚五郎」 : ななふく日記

どっちも聴いてみたい。どっちも引き継がれていくのを期待する。
気質的に一代限りで良いと思う人もいるだろうけれど。

圓窓師匠の落語は繋がったのだろうか。
講談は上方の旭堂御一門で受け継がれているらしい。
昨年他界された澤孝子師匠の猫餅は映像で残っているようだった。
奈々福さんはどう残していくのだろう。

楽しんで聴くものだし、どっちが正しいかを追うのは野暮かなと思う。
人が創り出したものだとしても、どこかでつながっている方が面白い。

 

落語のことをネットで調べる時、
いつも行き当たる解説サイトがいくつかあるけれど
あまり聞かない落語の時に、圓窓師匠の所に行きつくことが多い。

圓窓師匠は様々なことにチャレンジされていたことを
きちんとネット上に残してくれていて
落語の資産を残してくださった方だと思う。
時々のぞくぐらいでは到底網羅できない情報量。
古いものと創作したもの双方があるのが落語だとお解りの方だったのだろう。

圓窓落語 大百科事典 だくだく

生では寄席サイズで片手程しか聴けなかったのが残念だけれど
「叩き蟹」のような今や貴重な落語を音源に残してくださったのは嬉しい。

高座も教養や説法のような引き込まれる気持ち良さで
家でのんびり聴くと発見がある師匠だ。
五百席を達成したと聞く圓窓師匠。
無料でも聴ける世の中になってありがたい限りだけれど、他の音源も探してみたい。

 

少し話は脱線するけれど、音源や映像の保存については最近見方が変わってきた。

CDや配信のためなら、売れるかどうかが大事になってくるので
自然と売れる人が残されるように思うけれど
そうなると、特定の人の特定の演目しか残らなくなる。

手軽に見聞きできないとしても
どんなものが残されているのかは知りたい。
ご本人の意向もあるだろうけれども
鬼籍に入られた人のものは特にそう思う。

落語会場で出会う「俺は間に合ったオジサン」に怒りを覚えていたこともあったけど、
売れていようがいまいが、販売しようがしまいが
残っていること、残っていることがわかるようになっていることは
演芸が伝統的に引き継がれてきたものとして
文字よりも音の情報が多い資料を残すことは大切に思える。

今年は様々調べ物をしていくうちに
確実に残っているもの、残されていたものを知る機会が増えた。
仕組みは少しずつ整備されているけれど、
意外なほど面倒で情報が遠いことは多いことも知った。

探すために調べることから始まって
知りたいと思ってから取り出すまでの手間は多い。
閉架式」に保存されているものも多いように思う。

圓窓師匠のような見せ方をしてくれたらいいのにと思うけれど
個人でだれもが出来る手間ではないこともわかる。

ラジオやテレビで貴重な映像や音源に出会えるのはうれしい経験だけれど
見つけたい人が「あることがわかる」状態でなかったら
どこで調べればよいかわからなかったら
価値を知る人にも届かない。


興味を持った時にたどり着けるしくみ
もっと整備されることを願うし
自分なりにもなにかしたい思いが出てきた。

退職後に時間が出来たから調べる、という余裕がある人がこの先どれだけいるのだろうか。

 

結局「猫餅」は落語の定番ネタではないらしい。

兼好師匠の「猫餅」は「陸奥間違い」と同じく
にぎわい座の企画で生まれたのではないだろうかと予測するも不明。

圓窓師匠の「いただき猫」は猫落語らしいサゲ。
「猫餅」はどんな話なのだろう。どこが舞台なのだろう。
以前に掛けていた落語なのだろうか?
調べたけれど、その分つまらなくなる要素は全然ない。

演じる側や作る側に立つことはないけれど、
間をあけてもう一度向き合うのはどんな気持ちなのだろう。

昔夢中になった本を読み返すような気持ちなのだろうか。
読み返すと間違いなく当時と違う気づきがあるもの。
その新鮮な気づきが伝わってくるのが楽しみ。

できることなら生で聴きたい。

 

落語会のきっかけになった大佛次郎さんの言葉

猫は僕の趣味ではない。いつの間にかなくてはならない優しい伴侶になっているのだ。(大佛次郎エッセイ「眠っている猫」より)

仰る通り。猫づくしの大佛次郎記念館で行われる猫写真展も見に行きたい。
エッセイも読んでみたい。
タイトルからして、左甚五郎が掛かっているみたいだ。

大佛次郎さんのこともこれを機に調べてみよう。
「おさらぎじろう」と読むことから・・・

osaragi.yafjp.org

nigiwaiza.yafjp.org