直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

圓朝師匠の知りたかった静岡興行の話。

興味があることに反応して、思いがけない発見するとめっちゃ楽しい。
今日もそんなシンクロニシティが!
きっかけは三遊亭ぽん太さんのつぶやき。

「もう半分」とは落語演目の名前で怖い噺なのですが、圓朝作なの?と興味をそそられまずはネット検索。ヒットするも根拠に乏しい。
そういえば東京かわら版さんの引越前ガレージセールでラッキーゲットした本があったな!と取り出してみる。

新版 三遊亭円朝 (青蛙選書)

新版 三遊亭円朝 (青蛙選書)

 

圓朝師匠について仔細を調べまとめられている本で、帯には「名人円朝の克明な伝記と全作品の解説」と書かれている。偶然開いた頁に井上馨の興津にある別荘に同行した時のことが載っていて、圓朝師が静岡へ赴いた記録に興味を持って手に入れた本だった。

「もう半分」は「五勺酒」の別名があるとか「正直清兵衛」の一部から出たと知るも、そのものも近い名前もない。よく見ればぽん太さんも同じ永井啓夫先生の本で確認されてからつぶやいているらしい、ということで調査はあっさり終了。

誰が作った噺か。落語が出来る過程を考えると真偽を確かめるのは難しい気もする。事実ネット上には圓朝作だとあちこちに書かれている。上書きされていく世の中で白黒つけるのは難しい。数百年前に書き残された記録とて同じようなものかもしれないけれど、昔の資料は残り方でちょっとだけ信憑性は上に感じる。

本の中に年表があり、圓朝師匠の動向が簡潔に、けれど記録を追ってわかりやすくまとめられている。手に入れてからじっくり読めていなかったけれどやっぱりすごい。その中に「静岡愛共亭に出演」という記録を見つけた。
あ、これは多分徳川慶喜公の記録で見た圓朝師匠の静岡興行のことだ!と思い、興津へ行った記録周辺を確認してみた。

今年の冬、帰省した折、せっかくなので慶喜公が過ごされていた場所を宿にした。間が良く島田の落語会へも行くことができて、島田宿を調べるフィールドワークを計画していたのだけれど当日は寒い寒い雨。急遽立ち寄った会場手前の図書館で、地域資料の中にその記録が確認できる書籍を偶然見つけた。

徳川慶喜公は『家扶日記』という日記を遺されており、ご家庭内についてや慶喜公の元へ訪問している人たちを記録していた。その内容を現代語で読むことが出来る本だった。渋沢栄一を介して慶喜公と圓朝師匠が顔を合わせていたことを聞いたことがあったので、もしかしてと本を手に取った。本当に載っていたのを見つけると興奮した。

慶喜邸を訪れた人々―「徳川慶喜家扶日記」より 慶喜邸を訪れた人々―「徳川慶喜家扶日記」より

とはいえ、徳川慶喜公と圓朝師匠が本当に会っていた記録は確認できたものの、内容はひたすら慶喜公の日記なので、ドラマチックな内容でもなく、ただ「静岡で高座に上がっていたのか!」という発見で満足して帰ってきた。親類に会ったりなんだりで見た内容もあまりきちんと手元に記録せずに帰ってきたまま忘れていた件。圓朝師匠の静岡興行は「静岡愛共亭」で行われ、しかも一度寄席を引退し、弟子のスケ(代演)で寄席に再び出るようになるまでの間のことだったとわかった。

新版 三遊亭円朝 』には静岡愛共亭が呉服町四丁目にあり、のちの朝寝坊むらくや初代の立花家橘之助他、弟子や芸人を連れて出演しているビラを橘右近氏が発見し全生庵に寄贈したとある。呉服町は静岡駅前市街地の中心で、慶喜公のお屋敷(現在の浮月楼)からも歩いて程ない場所。どちらも子供の頃から知っている場所だけに、そこに圓朝が来ていたと思うだけで楽しい。慶喜公のお屋敷だった場所も現在は紺屋町という町名で落語に馴染んでまた面白い。圓朝師匠は静岡入りした11月20日慶喜公にご挨拶をして、興行が終わった27日にも伺っているということになる。日程的に記録がハマっているのも面白い。

圓朝師匠のお墓がある谷中の全生庵に興行のビラがあり、師匠の脇に先代(と呼ぶとなんだか不思議)の墓石があるぽん太さんからきっかけをもらう辺りが面白く、明治なら静岡愛共亭があった場所がわからないか?席亭の子孫は静岡にいらっしゃらないのか?とまた興味が広がる。

静岡は離れて過ごすほど面白い種がある場所で、落語の種もまだまだ見つかりそうだ。
圓朝師匠のことは自由研究の先人が山ほどいるのでネットで探すだけでも面白い。

生まれ育った場所が東海道のど真ん中で、落語会でよく足を運ぶ人形町が(元吉原)の成り立ちに関わり深い土地だとも知った。江戸に縁が深い家康公が暮らした土地だけに、落語にも静岡と縁がある町名は度々出てくる。知りたいことは増える一方だ。

知ったところで先に誰かが調査済み、なのだけれど、今日のように自分の中で発見が編みあがると楽しく、より落語に親しみと面白さが増してしまう。

学生時分は都会に憧れ帰省は面倒でしかなかったけれど、落語や演芸をきっかけに帰省を増やして自由研究ができたら充実するに違いない。
また落語会ついでと称して帰省を楽しもう。