直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

阿川佐和子さんの『この噺家に会いたい』

この本のタイトルを見て思い出すのはとある落語会の名前。
書いてみたらたいして字面も似てなかった。
中野で続いていたあの会は続かないのかな、という話はさておき
忘れる前に書き留める本の感想を。

 

阿川佐和子のこの噺家に会いたい (文春ムック) 阿川佐和子のこの噺家に会いたい (文春ムック)

 

円楽師匠のインタビューが載っているんだ、という軽い感じで手にしたけれど
噺家のマクラを対談トークショーにして、
落語まわりの関心事をぎゅっと集めて寄席にしたような顔付けと内容。
こんな本があったのね!という読んでみたかったインタビュー本。

それぞれの師匠の顔写真上に取材時期が書かれている。
昨年出版された本なのにインタビュー内容は取材時の旬。
鬼籍に入られている師匠も多い。

あの師匠が生きていたらどう思っていたのだろうか、
あの寄席はどうやって出来ていったんだろう?
あの時期師匠はどう感じていたんだろう?

間に合っていない師匠、若いころを知らない師匠、
大変な時期を一緒に体験している師匠の心持ち
あの寄席が出来た経緯・・・
落語にハマって噺家の人となりが面白いとわかって
高座の脇にも興味が出てきて師匠方に聞いてみたい。
そんなことを阿川さんが聞き出してくれている。

落語界の事件は、見た人関係した人目線で聞くことはあったけれど、インタビューとはいえ当事者の師匠から聞けるのは阿川さんだからではないだろうか。
実は文春は見出しも取り上げる話題もリアルタイムだと好みではなく、ムックで阿川さんで気になる師匠がいなかったら出逢えてなかっただろう。

 

ここからは番組順で感想を。読むうちに番組だった。

 

まずは前座かわりの阿川さん。ご自身の落語のご縁話。これが後から効いてくる。

喬太郎師匠はご自身で文春落語も継続されていて
寄席をやさしく教えてくれながら知らなかった仕事の一端を話されている。

松之丞さん(現・神田伯山)は嫌いな講談が宝の山に変わり、真打目前で人を惹きつけ講談の位置づけを変えていく心境を語られている。

歌丸師匠は人生の一部になった笑点の楽屋話を沢山に。生き証人から聞ける話は何を演るにも必ず笑点メンバーをイジるマクラを思い出す。国立演芸場で倒れて笑点を引退し、圓朝噺に傾倒されるまでがまるでドラマだ。

高田文夫さんはラジオでよく逸話は聞くものの、ご自身の話を知る機会がなく驚く内容だった。
昭和の大物との関係、お仕事、世に出たきっかけ、大病されたこと、たけしさんのフライデー事件前夜目撃談。そういえば高座だけは見たことない。

若き米團治師匠はお父様の桂米朝師匠が亡くなられてすぐのインタビュー。
当時を語る米團治師匠の明るさと米朝師匠へのリスペクトが伝わる。
ちょうど米朝師匠のCDも聴いていた所でいちいちリンクして興味深く。
米朝師匠が噺家になったきっかけが最近知った演芸評論家・正岡容だったと知って驚いた。

定年がない噺家さんは仲間が亡くなっても落語会は続く。客で落語会に行っていて遭遇すると、むしろそこから他界された師匠に関心が向くことも多かった。

次に登場が小沢昭一さん。こちらも正岡容に繋がる人で驚きつつ、この方もお仕事を知らない。
映画『幕末太陽傳』の撮影周りの話は大分前に、ほんの少し、だけれど撮影所に出入りしていた身としては感覚的に懐かしい。「品川心中」「居残り佐平次」で落語の舞台になる品川に暮らしている身として楽しいキーワードもあった。自分の関心事との関わりが次々出てくる人だった。

志の輔師匠は落研時代から入門、「志の輔らくご」に至るまで談志師匠を意識して作ってきた道を。
PARCO劇場とのご縁も寄席に出られないと決まった日も外伝のよう。

円楽師匠は六代目襲名直後のインタビュー。披露目前、博多・天神落語まつり前夜に五代目圓楽師匠が亡くなる。二代揃っての口上が叶わなかったけれど、その間合いさえ気遣いに思える逸話。当時の談志師匠とのエピソードも。名人先輩に愛された円楽師匠のリスペクトの魅せ方、大人になってからだけど知れてよかった。

小三治師匠はネガティブだとはっきり仰る。落語でも趣味でも自分に向いているものを探し続けているのかもしれないという言葉にとても共感。
心を預けられた小さん師匠への想いもリスペクトで、「小三治」の名前を受けた人となりが伝わる(後に出てくる小さん師匠の話に繋がる)

談春師匠は「赤めだか」の執筆エピソード。談志師匠の気性との相性や師匠から見た談志師匠と小さん師匠。噺家が言う悪口の感触は高座に通うとわかる。談志師匠の「業の肯定」は切り取られた言葉で「他の芸能は業の克服、でも落語は人間の業の肯定である」と聞いて至極納得。

今楽しんでいる落語が現代の形で、昭和の名人達の時代と繋がっていながら違うものなのかもしれないと漠然と思いつつ、その替り目は知る人から聴くしかないところ。噺家さんは残す人がいれば読ませてくれる機会もあるのが面白い。

木久蔵(現・林家木久扇)師匠はとにかくご自身が面白い。落語に辿り着いても、師匠が変わっても、そのエピソードが高座になる話で、古典落語新作落語のイメージがないのに出会った人を話す噺家を地で行く人だと再確認。「木久蔵」の名前エピソードと底抜けの明るさに軽くて丈夫な心意気が入っていたのが新発見。

昇太師匠はコロナ前、芸協会長前、ご結婚前のインタビュー。
入門前後の話から新作落語にいたる価値観、理想の結婚生活の話。結婚したら多彩な趣味がどうなるのか?という話は、結果を聞く機会がないけれど、地位や困難が加わってもスタンスにお変わりなしで楽しい。

三枝師匠(現・桂文枝)は上方落語協会の会長になられて繁昌亭を建設中のインタビュー。建設構想や立地が決まった経緯の話は貴重。ますます行ってみたくなる。
売れっ子時代のお話は想像を絶する芸人の世界。当時の劇場の様子は今ではありえない。エネルギッシュな人達に囲まれて、創作落語へ向かっていかれたんですね。

その後、談志師匠と小さん師匠のインタビューが続く。内容はお二人の人となりが出ていて楽しめるのだけれど、出過ぎていて顔付けの妙にかの騒動が過去に思えない程。

談志師匠が2002年、小さん師匠が1995年に掲載されたものだと書かれているる。間は何年も開いていて、今から20年以上前のこと。なのに師弟の愛憎がヒリヒリする。読み終えた後、前座代わりの阿川さんのまえがきを読むとより一層ヒリヒリした。談春師匠が聞いた手打ちの話は果たして小さん師匠がご存命の内に可能だったのか?と思ってしまう。知らないながらも落語協会の脱退騒動の大きさを感じる。

 

思えば小さん師匠は圓生師匠と談志師匠と二度の騒動を受け止めてきた人なのだ。
温厚なお写真を見ていただけではわからないもの。
当時を見てきたお弟子さん達が歴代落語協会の会長を務めていると思うと、剣士と噺家の心意気を持った小さん師匠の胆力を知っている人達なんだなと変に納得する。
そして他派にも俄然興味が沸いてくる。そしてまんべんなく話を聞いている阿川佐和子さんにも関心が高まる。

人の面白さを垣間見せてくれる噺家さん達。プロだけにまくらやインタビューで出す話は出し方を選んでいるだろう。それでも言葉の間から伝わるものがあると思えるのは、生の高座を知っているからこそ。
師弟と聞いてなかなか繋がらなかった小さん師匠と談志師匠の言葉は読む形で知れて良かった。そしてインタビューを読んでいて、全員が他の噺家の名前を出し、繋がりや尊敬の言葉を口にされていて、落語ファンでいる理由を再確認できた。

また少し経ってから読んでみたらまた違う感想を持つかもしれない。