日曜日の落語ルーティーンは午後にNHKラジオ「小痴楽の楽屋ぞめき」、夕方日テレの「笑点」、その合間にEテレ「日本の話芸」や前日土曜日の「真打ち共演」を家事をしながら聴き逃し配信で聴くという調子。さほどぼんやりするまもなく大河ドラマを見て週末が終わってしまいます。
落語の楽しみ方を軌道修正して、落語会へ行く回数が減っても「また○○師匠の高座見たいな」という気持ちにさせてくれる番組があるのは有難い。昔からこんな風に番組の数はあったのか、最近盛り上がっているからなのかはわかりませんが、続けて聴いていると思いがけず聴ける高座が多くて「時空を超えてる落語」はもしかしたらラジオの方が多いのかもしれません。
5/18(土)「真打ち競演」は入船亭扇橋師匠の「替り目」遠峰あこさんの漫謡、林家木久扇師匠の「彦六伝」。扇橋師匠は初登場、木久扇師匠は笑点ご卒業したての収録だったようです。あこさんの「かっぱ巻きのうた」をラジオで聴けて以前の落語会を思い出しました。
真打ち競演▽入船亭扇橋 遠峰あこ 林家木久扇
5月25日(土)午後1:55配信終了
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0632_01
木久扇師匠の「彦六伝」は笑点でもよくやられていた師匠の師匠、林家彦六師匠のエピソードトークの一席です。子供の頃からテレビで見ていて、どういう人かはよくわからないけれど、手や声が震えているおじいさんの様子を木久扇師匠がやってみせるだけで面白い。自分が知っているおじいちゃんやお年寄りに似ているのでそれだけでもちょっと可笑しい。しかも少し強情だったり頑固だったりするのがわかるし、それが故に面白い出来事が起こるらしい。
実際に目の前にそんなおじいさんがいたら、正直面倒なはず。なのに木久扇師匠を通して見るとなんだかおもしろい。「バカヤロウ」と言っているおじいさんにもう笑ってしまう。
そんなテレビで見たことがあるおじいさんの話をしている木久扇師匠を生の高座で見た時は、テレビで見たことある「アレ」が見れたうれしさと、一席になるぐらいエピソード満載の師弟の時間が聴けたうれしさ、師弟関係の縁をもっと知りたいという気持ちがわっと湧いたのを思い出します。
寄席にはテレビで見たことがある人、昔見ていた人が登場することが時々あります。テレビで有名になった人やネタを生で見れるとそれもなんだか感慨深いし、改めてファンになったり。流行は流行で廃れるものだけど、その後も面白いものは面白いというのが寄席でわかったり。音楽アーティストのライブも、テレビやラジオ、CDでしか聴いたことがなかった曲を生で聴けた後、同じ音源や映像を見ても感じ方が全然かわることがあるけど、落語や寄席で見た演芸や芸人さんにも全然違うようで同じことが起こります。狙わずに偶然行って見れただけでファンになったり、また寄席に行こうと思う時に出ているとラッキーだと思ったり。生の場で浴びる「経験」「体験」「感覚」の豊かさかもしれません。
テレビで見ただけの頃は真似ているおじいさんのことはまるで知りませんでしたが、落語にハマってから彦六師匠のユニークな経歴やエピソードを知るようになると、更に木久扇師匠の「彦六伝」や笑点でみる真似が面白くなりました。
木久扇師匠が話す彦六の正蔵師匠(八代目林家正蔵、のちの林家彦六)はおじいさん時代です。木久扇師匠が彦六師匠の弟子になった頃は彦六師匠は60代後半に入る頃だったからでしょう。木久扇師匠の彦六には身近にいた木久扇師匠だから話せる「頑固な老人」の面白さがその観察眼で短くいくつもちりばめられています。
ですが、そのおじいさんはこんな人でした
・かつて「トンガリ」と呼ばれていた
・そのおじいさんにも「おじいさん」と呼んでいる人がいた
・おじいさんからおじいさんへ圓朝の芝居噺が継承された
・ネタの幅がすごい
・襲名についてはいろいろあった
最後の襲名についていろいろあったことを知っていると、木久扇師匠が彦六師匠の弟子になる時のエピソードも面白く聴けるのですが、そこはなかなかマニアックかもしれません。
わかるかもしれない動画を置いておきますね
【林家木久扇師匠の世界②】初高座で落語をしなかった!?伝説の師匠のぶっ飛んだエピソードがどんどん出てくる! - YouTube
寄席や落語会に出掛けるとごく最近に他界された芸人さんのことも忌み嫌わずに普通に話題に入って聴くことができます。過剰に経歴を説明したりもせず、さっきまでそこにいた仲間、家族親戚の様に「もう会えない師匠」「先人の師匠噺」の話が聞ける、ふんだんにそういう機会があるのも落語が好きな理由のひとつかもしれません。
これまでも、目の前の噺家さんの高座で聴いたから、知らなかった、もう生では、寄席では聴けない先人師匠に興味を持ったことは数限りなくありました。悪口でもイジリでもSNSで見るような叩く言葉と違う感情で言っていることがわかる。どこまで本当でどこまで洒落か冗談かわからない話でも安心して笑える場なのかもしれません。
木久扇師匠の彦六伝も、自分の師匠でさえも人間味がある面白さを捉えて話して、笑わせてもらえるネタ(種)にして、思い出を聴かせてもらえる。彦六伝が始まると「なんだ、今日は落語をやらないのか」と思った時期もありましたが、いまや木久扇師匠の十八番として、また先の正蔵師匠の再現エピソードとして聴くのが楽しみな一席です。
彦六師匠の真似は好楽師匠でも見たことがあります。好楽師匠も元は彦六師匠の弟子、林家九蔵で木久扇師匠と兄弟弟子なので、それがわかるとまたほっこりします。
彦六師匠の他に立川談志師匠も登場しますが、この師匠ももう知らない世代も増えてきたでしょう。「知らなくてもなんだか癖のある人がいた」ことを「興味のある人」が聞かせてくれるのは、面白い人を見つけるきっかけ。談志師匠の面白さも、気がついてからが楽しい。今日も聴いていてまた調べたいことが出てきてしまいました。
キリが無くなって書いては消し書いては消し、ということで本日はここまで。