なぜか定期的に見る過去の深夜枠落語番組「落語者」
まだ生の落語を追いかける前に放送されていた番組ですが
今でも人気の師匠達の落語とトークがあって何度見ても楽しめます。
林家彦いち師匠の回を見ると毎度手にするのが『楽屋顔』
師匠が楽屋で撮った噺家達を2004年に単行本『楽写』を
文庫本『楽屋顔』に収めて発売したとトークで話題になるから。
「正楽師匠の顔もあったはず」
今回は『楽屋顔』と耳にして真っ先に正楽師匠を探した。
すぐに見つかった。
一枚は高座ではない「丹念に時間をかけて作る場合」の紙切り。
色紙のものがある。この間長井さんの記事で読んだシリーズかもしれない。
正楽師匠は高座と違う真剣な表情だ。
[演芸おもしろ帖]巻の三十九 正楽は寄席にいる! 追悼「紙切り名人」林家正楽の高座スケッチ : 読売新聞
もう一枚は2000年の襲名披露でトリを取っていた時のもの。
こちらも高座と違う鋭い眼差し。
時間を確認する様子が前のものとは違った主任のまなざしに見える。
どちらも笑顔ではなかったのが意外だった。
この本は入手した時から楽しんできた一冊。
今活躍する師匠方のかなり若い姿を楽しみに拝見しているのだけれど
手にする度にこの方もこの方も鬼籍に入られたと確認することになる。
そしてなぜか寄席や落語会で見る機会が無かった師匠方の顔も
前に手にした時よりわかるようになるのが不思議だ。
不思議といっても理由は思い当たる。SNSだ。
コロナ禍以前は演芸情報が少なかったとはいえ
限られていたからこそ今よりむしろ情報が拾いやすい一面があった旧Twitter。
訃報は特に演芸に限らず目にするのが早く、特に知った落語家さんが発信すると
身近な関係が伝わってきた。
訃報をきっかけに調べたのを明確に覚えているのが志ん駒師匠だった。
生で見たことがない人なのに慕う人達の言葉で関心を持った。
調べたし音源も聴いてみた。ラジオで放送されたものも聴いた。
師弟関係わかり、芸風を知り、子供の頃テレビで見ていた人だといきついた。
そうしてお名前や顔を改めて覚えたり
高座を聴いて声を覚えた方も知らぬ間に増えていたらしい。
もちろん僅かでも寄席や落語会で見た人ならまた感じ方が変わり
手元にある落語本や何気なく見ていた高座写真が違って見えてくる。
正楽師匠は作品が形に残る芸の師匠らしく
これまで客席に渡ったたくさんの作品と笑顔とお茶目な写真が花道のように続いた。
トリを食わないことが役割でありながら
襲名披露では主任を勤め慕われ
次の人間国宝に違いないと言われつつ花道入りとは
そのうち歌舞伎で一幕見て大向こうをかけてみたい格好良さだ。
彦いち師匠の仲間目線で見ることができる『楽屋顔』
楽屋の様子は今や画像や映像で見る機会も増えたけれど、
ネットで作品や追悼記事もたくさん読んだけれど
紙に写した正楽師匠の日常も真剣も自然体の顔を
手に持って見ることができたのがなんだかほっとした。
単行本の『楽写』もまた少し違った感慨の深さを味わえそうに思える。
楽屋顔-噺家・彦いちが撮った、高座の裏側- (講談社+α文庫)