直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

「落語の世界」を読んで笑うも落ち着かず

今日もパワハラ裁判の言葉に躓いているので
現代から目をそらすことにしてみた。

 

昨年自由研究をしていた三遊亭圓朝も騒動を起こしたことがある。
それがきっかけで東京の寄席から降りたのだが、
その時も騒動に発展した原因は弟子たちが秘密裏に進められなかったことにある。

落語界の分裂や騒動は忘れられているだけであるのだろう。
探せば裁判もあったのかもしれない。

圓朝一門の騒動話を 永井啓夫著「新版 三遊亭圓朝」で読み直してみようと思ったのに、隣りにあった 五代目柳家つばめ著「落語の世界」を手にしてしまった。

落語の世界 (河出文庫)

落語の世界 (河出文庫)

 

この本は60年代後半のの落語の世界を詳細に教えてくれる面白い本で
こういう一昔前とか更に前を本で親しんでしまっている分
今の騒動についていけないのかもしれないと苦笑する。

この柳家つばめ師匠は落語家の大卒第1号と言われる人で
柳家権太楼師匠が追っかけしていた談志師匠ではなく入門する師匠に選んだ人だ。
文章がとてもユーモラスで読みやすいのでぜひ手に取ってみてほしい。

 

パワハラ裁判(この呼び方なんとかならないのか。。)で最初から気になっていたのは訴えた元お弟子さんが「入門」した経緯だった。

就職した先が思っていたのと違った、ブラックだった、というのはよくあるので
師匠に選んだけど思ったのと違ったのだろうと察する。
やめさせてくれなかったから他門へ移ることに苦労されていたのも察する。

なので「入門」の項目を読み直した。

 

「入門」の項目を読んで至極ごもっともなことを確認した。
具体的には書かない。むしろ裁判の話題が出た時聞いたことが腑に落ちた位だ。

弟子を取るにも覚悟がいるし、弟子を探してきて取るわけではない。
自分の芸を芸人としてやりながら後進として育て鍛える責任があって、やり方もそれぞれ。すべての人間が成功できるように育てることは望んでも難しい。

入門する側も弟子とはいえ知恵のついた大人のつもりだから、世話をしてもらっていることより痛みや苦しみに不満は募る。そして落語の世界から離れたいわけではない。

距離が近すぎて辛い時、相手に求めることが大きくなる。
しかもきちんと話さずともわかり合えるはずと誤解して。

 

弟子入りお断りの条件は

・方言がある
・女性、顔、年齢
・保証人が反対

だと書かれていた。

といっても、と保証人が反対した場合以外は例外が書かれている。
出版されてから50年以上経過して世の中の環境の方が変わっているので
読み返すと働き方も働く場所も自由が利く時代になってむしろ懐かしい。

その中で、方言があっても成功した人として
三遊亭円歌の名前が出てきてドキッとする。

もちろん当代ではなく先々代の円歌師匠なのだが。

 

そのまま読み進めると林家正蔵の弟子が出てくる。
楽屋の語り草になった田舎言葉のエピソードが楽しい。

春日部から通う弟子で正蔵師匠は様々な手を打った。

 

第一の対策は前座名。
田舎言葉が出ても不自然ではない名前にした。

第二の対策は田舎噺から徹底的にやらせてその間に言葉を鍛える。

だが、通いの弟子は家に帰る度に言葉が戻ってしまったそうだ。

そして第三の対策。紙切り名人林家正楽の元に通わせる。

彼はメキメキ腕を上げ、今は小正楽として活躍している。
いずれ正楽を襲名してよい腕だと。

 

ここで正楽師匠の名前が出てくるとは!

思わず声を上げる。

後から確認したら、先代の二代目だったのだけれど。

 

この偶然に笑ってスッキリする。

 

この記事を読んだ後だったから、二代目に繋げてくださったのかも。

serai.jp

 

つばめ師匠の「落語の世界」は面白い本なのだが
冒頭「自殺した落語家」の話から始まる。

思いつめる人間は真面目で
芸に悩んでではなく、芸道に悩むのだそうだ。

60年代という時代を引くと
死に至る人は減ってきたはずと書きつつも
身近な別れがあったことも漏らしていて
裁判でいがみ合って憎しみ合って拗れまくっていても
生きていればマシかと思ってみる。

 

なのに煽って社会から抹殺しようといわんばかりの見出しを見つけて
やっぱり地獄の様相だなと思う。
商売の人間もマウントする人間も介入してしまった

先代からの円歌一門のイメージからし
豪快という名の器用とは離れた印象を持っているので
やっぱりなぜこうなったのか考え始めるとキリがない。

ただ失礼ながら訴えた方の元弟子の人も訴えられた側のご一門も
ある種似た者同士過ぎて
起こるべくしてのことかもしれない。

先代の圓歌師匠はどうみるだろう。
ちょっと興味がある。
物騒なことも言いそうだし、仏僧な言葉も言ってくれそうだ。

 

私が好きな落語の世界
明らかにならなくてもいいところがどんどん出てきて
楽しめないなあと思いながらも
元から楽しんでいた人達が裁判しているわけではない

 

判決が出て世の中が騒いだことに
師匠本人でなく弟子でも仲間でも反応してしまった以上
見たくないこちらは
目を背け続けないといけなくなってしまったことには違いない。
もう落語ではないし落語家の話ではないし
人間同士の争いの話。

協会が対処するのはそことは別のルールだろうし
そのルールが元から不要な一門も多いだろう

ネットを見る以上懸命にミュート設定を続ける必要があり
こちらは大変迷惑なことです。

 

どなたかが言っていた通り
膿を出し切って
見栄の張り方を変えてできる面白さで落語にするしかない

そもそも自分の師匠にされて嫌なことは
受け継がないで来ていたはず

 

落語をのんびり聴く気が薄れて
噂に落ち着かない数日

 

つばめ師匠の本を手にしたのは
穏やかにその経緯を確認したかったからかもしれない