直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

10/11 つれづれ 偶然の島田

10月11日深夜のこと。

度々手にしている「新版 三遊亭圓朝」のあとがきが目に入る。

”新版は長唄の 音家義丸氏のお世話で、晩年の円朝書簡十七通を所持なさっている島田市の石井貞男氏を紹介され、その一通を頂いたことが端緒となった。” 

島田のご縁があったことに少し驚いた。私が慶喜公と圓朝のご縁を自由研究として調べるきっかけをもらったのも島田だったから。

慶喜公と圓朝。ネットで見かけてはいた二人の接点は、東京にいて調べるには遠い話だった。面白い話だと思いながらも一度忘れていた。

コロナ禍明け数年ぶりの帰省日程に、推しの兼好師匠が出演する島田の落語会が繋がった。晴れたら大井川近くの島田宿の宿場観光をするつもりであれこれ調べて楽しみにしていた。それが雨になり御破算に。さてどうして過ごそうかと迷い込んだのが島田駅と当日会場の間で見つけた島田の市立図書館。あてもなく自然と足が向いた地域資料棚で慶喜公の家扶日記を見つけ、圓朝が静岡で3度は慶喜公会っていたこと、興行の際は圓朝の宿泊先や寄席の日程まで記録されていたことを知ってワクワクした。島田について書かれているわけではないけれど、静岡に具体的に調べてみたいことができる大きなきっかけになった。

その後、急に調べる時間も出来て、圓朝が一門で興行をした愛共亭の場所を見つけることもできたし、静岡にあった寄席や演芸の記録に興味が広がった。

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島田の石井貞男氏はどのような方なのか存じ上げないが、晩年の書簡とはどんなものだったのだろう。以前なにかの本で静岡の竹細工を土産にしたという圓朝の書簡を見た。静岡へ行く機会があったこと、生まれ育った場所の名物(駿河の竹細工)を選んでいることが知れた。茶の湯にも精通し、芝居にも縁があった圓朝を考えると静岡は可能性があり過ぎる。

手にしている本は平成10(1998)年11月に出版された「新版 三遊亭圓朝」を平成23(2011)年7月に新たに新装版として出されたもの。26年以上前のことだ。

そんなことを考えながら最後の行を見ると、あとがきの日付が平成10年10月11日で著者永井啓夫氏71歳のお誕生日とのこと。夜日付も変わる頃とはいえお誕生日の10月11日だった。

三遊亭円朝 新装版 (青蛙選書 36)

三遊亭円朝 新装版 (青蛙選書 36) 

調べるのは趣味で、永井氏に比べれば研究とはいえないピヨピヨだけれど、その趣味の指針になる圓朝の資料正伝を残してくださったことにお誕生日に改めて感謝した。だって今一番開いている本に間違いない。

出版したり研究者になるような器はないけれど、自由研究と称して調べていることが途切れているなにかを繋げるきっかけになれば楽しい。

 

そんな折、恒例で聴いているNHKラジオ「真打ち競演」を何気なく聴くと「思い出の名師匠 2代目古今亭圓菊」の回。圓菊師匠も島田のご出身だとか。前に聴いて忘れていたけれど、菊春師匠や3代目の圓菊師匠の話を聞くとどこか親近感のある島田の先輩を思い出した。

 

 

 

 

真打ち競演▽思い出の名師匠(10)2代目古今亭圓菊 | NHKラジオ らじる★らじる
10月12日(土)午後1:05放送 10月19日(土)午後1:55配信終了古今亭菊春,三代目 古今亭圓菊,佐藤友美 

 

 

 

意識しているから偶然がやってくるというものだろうけれど、重なると島田にお宝が埋まっていそうだ。また改めて島田に伺いたい。