直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

1/13つれづれ 笑点イメージ変遷

笑点の新メンバー予想の噂話が苦手なことは、自分の性格で楽しめない所もあるけれど、思い返せば意外に人気商売の脇で仕事をしてきたことも影響しているのかもしれない。そう考えたら「笑点」も田舎から上京して見え方が変わったことを思い出した。

笑点」という番組を意識して見るようになったのは、兼好師匠をきっかけに生で落語を見るようになったことが大きい。それまでは1つのテレビ番組、娯楽番組でしかなかった。

地方都市で生まれ育った子供時代。「笑点」や番組に出てくる着物を着た人達はテレビで見る人達で、会うこともない遠い存在だった。司会者と回答者のドタバタは面白くもあるけれど本気でやっているものだと思っていた。

笑点」の回答者はそれぞれ「キャラクター設定がある」と知ったのは社会人になってからだと思う。そういうものなのか、と思った。まだ生業という感覚がなかったのかもしれない。その頃もまだテレビに出ている人達であって、生身の実感もなかった。
たまに落語会へ出かけるようになって、二ツ目時代、真打昇進間もない兼好師匠を見るようになっても、笑点大喜利と落語があまり結びついていなかった。

 

兼好師匠の落語会へ定期的に行くようになると、落語の世界にいくつか団体があることを知る。師匠の師匠が好楽師匠で、同じ団体に六代目の円楽師匠がいることもわかってきた。テレビに出ている人達を、大きなホールではなく両国寄席や亀戸梅屋敷寄席で生で見ることが出来ることに驚きながらも、落語家さんに急激に親近感を持った。サラリーマン生活から考えると不思議なご商売だった。

ある年、六代目の円楽師匠が作った博多・天神落語まつりに行った。六代目がもう10年以上続いている落語フェスをプロデュースして、落語を知ってもらう活動や話題作りを意識している師匠だと知る。笑点での腹黒キャラは見ている人を喜ばせる意図もあり、自己紹介での告知は連携した落語振興活動なのか!と気づく。円楽師匠だけでなく、歌丸師匠はじめ全国中で顔が知られている笑点メンバーだからできることを、落語を見ていただくきっかけに繋ぐ役を心得ている人達として見るようになる。

(偶然にも演芸場で仕事をする機会があり、歌丸師匠から円楽師匠へのバトンを意識したのも影響は大きいかもしれない。)

笑点」は報道番組でもなく、日曜の夕方のんびり見て楽しむもので、10代後半から社会人になってしばらくは特に刺激が足りないものに感じていた。偶然笑点メンバーのお弟子さんを見るようになったからこんな感想をもつだけかもしれない。少なくとも、生で落語をみることがなかったら、こんなに笑点に興味を持つこともなく、こんなに長く笑点の事なんて書けないと思う。

笑点の新メンバーが誰になるかが大きな話題になるのは、それだけ影響力が大きいからには違いない。噂が飛び交うのも当然だ。自分が混ざるタイプではないだけで。

 

思い返すと、個人的に「笑点」が10倍100倍楽しくなったのは、生の落語が楽しくて落語会に通ってからだった。

去年、閉場直前の国立演芸場での笑点の収録に奇跡的に当選して出かけた。レギュラーメンバーはもちろん、大喜利前のゲストや前説をされていた愛楽師匠や座布団を運んでいた落語家さん達もほぼ全員顔も名前も知っていて、寄席で拝見したことがある方々だった。生で見たことがあって笑わせてくれる人達が揃っているのだから楽しいに決まっている。レギュラーメンバーの高座の面白さを知っているのだから楽しいに決まってる。笑点はそんな番組になっていた。

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収録参加は思いのほか楽しかった。昨年7月国立劇場にて 前説愛楽師匠

笑点のファンになる入口はそれぞれ。私は落語会や寄席が先だった。姪っ子たちに笑点グッズを土産にする伯母さんになるとは思いもよらなかったけれど年の取り方としては悪くない。