直子の探求時間

気になること、落語のまわりなど

板のぞいたら価値観整った

先日、初めて5ちゃんねるのぞいてみた。

きっかけは落語関連の検索ワードの候補だった。何かしらで2ch時代も5chも覗いたことはあったと思うけど落語系のスレッド(板)を一通り見たのは多分初。

前にも書いた通り次の笑点メンバーや襲名予想話が苦手(ほぼ嫌い)だからそういう噂の巣窟とわかっているのに魔が差したというべきか。

結果。同じ落語会や報道を見ていても高座に見てるものが違う人達ってことがよくわかった。なぜそう思うのかも整理できた。

人を見てる人と噂を見ている人がこの世にはいるんだ。

話が通じてないことが多いと感じてたのはそういうことだったのかも、と気づいた。

今はこういう場所は誰が使っているのだろう。イメージや言動から私より上の世代も多いように思う。XあたりのSNSが新ルールで汎用性を高めたというところか。情報確かめずに根拠なしの憶測発言の応酬ができる自由が残されている。

落語関連だからといって特に印象に変わりなく、目の前で生身で繰り出されていたら立ち去る内容がほとんどで途中冷静な人が入る。

そのつもりで見に行ったからか、思ったより苛立ちとか怒りとかはなく、段々と呆れて笑えてくる。読みながらツッコミも入れた。それが好みの世界線の人は居心地がよいのだろう。

あいつはすごい、人気ある、天才という発言は好きに言えばよいけれど、誰かと比べたり特定の団体をけなすから、落語家やそのファンとか関係者誰かに傷を負わせる方式であーあ、になる。物差しもデータも比べる基準が定まらないから終始水掛け論。

つまりは気の合う人は居そうになかった。

人が集まれば噂話は出るものだけど、貶し合ったりマウント合戦だとかただの悪口が長々続く場所はネットでなくても好きではない。でもそこがいい人もいるということなのか。

興味のある板に集っているというのに、イジりでもなく貶しまくりで何がしたいのかよくわからない場所だった。落語聴きに行くってそういうこと、って人がいることだけはわかった。

思っていても、口から外に出すことには思い遣りを持ちたい。

客席みんなで楽しく笑っていられる時間は尊い