直子の部屋

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私の代々圓楽像(個人的な意見です)

昨日の祝報は思いがけず大喜びした。
三遊亭王楽師匠が来春に七代目 三遊亭円楽を襲名されるとのこと。
誠におめでとう存じます!

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第一報で真っ先に思い出したのは王楽師匠のYouTubeチャンネル
ゲストが神田伯山さんで襲名の話題が出ていた。
円楽を王楽師匠が継いで、末広亭で披露目したら演芸界がまた盛り上がると伯山さんの希望が話されても、「話が来てないから」と答える王楽師匠。だまされたっ!!

来春七代目円楽となる王楽師匠は五代目圓楽師匠の最後のお弟子さん。
好楽師匠のご子息なのに兄弟弟子なのは承知していたけれど、五代目に27人もお弟子さんがいたことを忘れていた。
やはり六代目が亡くなった直後は無意識に六代目のお弟子さんが継ぐのかな…などと考えてしまったけれど、やはり平常冷静に考えるには時間が必要。ご自身達事のみなさんは決める側も受ける側も尚更落ち着きたいところだろう。

チャンネル視聴者としてコメント欄にお祝いの言葉を入れると、周囲からお祝いの連絡が多数と聞いていた王楽師匠がそれぞれのコメントに返信を入れてくださっていた。流石だ。
(王楽師匠、YouTubeのコメント返信はご自分でされているそうで毎回丁寧でマメで驚く)

 

その後SNSではトレンド入りして、円楽襲名の話も、それ以外の名前の襲名の話も入り乱れていたので見るのをやめた。

理由はその手の噂話が苦手なこと。毎回推しの兼好師匠の名前も出るからだ。人気の証とはいえ、目の前の祝事を見ない、もしくはけなして囃す人の業が苦手。笑点メンバー予測と誰が襲名するのがいいと思うかという話は拒否反応が起きる。以前にも盛り上がっている所に変顔で水を差したことがあるので、離れるに限る。噂をするのが悪いのではなくて、苛立つことから離れるのが健全ということで。

正式に決まったと発表されたら「キタっ!わーい!おめでとうございます!きゃっほ~い!」と飛んで喜びたい派。予想や希望が外れてショックで落ち込むのが嫌な負けず嫌いということかもしれない。

 

ちょうどこの9月中席は新宿末広亭 夜の部で王楽師匠も交互出演されている。王楽師匠の高座を知らずに噂であれこれ知った気になりそうな方は、9月26日(木)、28日(土)にもご出演予定なので生で見てほしい。

 

 

前から面白いと思うこともいくつかあったので、今日はお題「圓楽といえば」に自分の知っていることや印象で回答する「私の代々圓楽像」を書いてみようと思う。

時流に乗った話題を書いて上手くいったことが無いので、きれいにまとまらないことはご承知いただきたい。

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身の回りの参考文献としては、保田武宏著「東都噺家百傑伝」、永井啓夫「新版 三遊亭圓朝」、冨田均「聞書き 寄席末広亭」、日本演芸家連合国立演芸場の誕生までー演芸連合の歩みー」、春陽堂版「圓朝全集」、角川書店版「三遊亭圓朝全集」、Wikipedia など。後半の全集は国立国会図書館デジタルコレクション。他、大きいのは寄席の高座で見聞きしたこと。
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初代の圓楽は歌舞伎役者出身。三遊亭圓朝の弟子で淸朝の名から圓楽、後に三代目三遊亭圓生となった人だ。

役者時代の名前からか”のしん圓生”とあだ名された人で、圓生を襲名した際の事情はいくつかの説がある。とはいえ、圓生を襲名した際に圓朝の鳴物噺(道具入り芝居噺)を受け継ぎ、芝居噺の第一人者になった。

細々とした途中の経緯が都度諸説あり謎もある人だけれど、歌舞伎役者出身で芝居噺を受け継いだと聞くとさもありなんと思える。初代三遊亭圓生は芝居小屋の木戸芸者出身で芝居がかり鳴り物入りの元祖。節や声色を使う技の基礎もあったのだろう。

 

二代目の圓楽は三遊一朝師匠。圓朝師匠の晩年そばについて面倒を見た方で、やはり怪談噺、芝居噺をされた方だ。そして、この二代目圓楽の一朝師匠の面倒を見ていた人が林家彦六師匠。前名が八代目林家正蔵で更にその前名が三代目三遊亭圓楽。木久扇師匠が笑点でも高座でもよくものまねをする方で、道具入りの芝居噺を現在も受け継いでいる林家正雀師匠のお師匠さんだ。

木久扇師匠が彦六師匠の話をする時、たまに彦六師匠が「おじいさん」と呼んでいた人が登場する。それが一朝師匠(二代目圓楽)だ。晩年を世話した圓朝が亡くなった後、真打前の彦六師匠に圓楽を譲り、二代目圓楽から三遊一朝に名を変えたとか。一朝翁、一朝老人と呼ばれることもある。

彦六師匠(ともう一人の落語家)が一朝老人の面倒を見た頃は、不況や戦争が度々あった時代。聞書きなど本で読むと襲名については今と違った考え方があったように感じる。

彦六師匠の名前の変遷を初めて知った時は驚いた。亭号は三遊亭、扇遊亭、橘屋、蝶花楼、林家 と別派と思える名前を名乗っている時期がある。最初の師匠が不在となり、別の師匠達の内輪になって名前を変えていったようだ。林家正蔵となった時にはやや複雑な事情もあったらしい。

とはいえ彦六師匠は三遊亭圓朝の孫弟子でもあり、一朝老人から得た三遊亭の鳴り物入り芝居噺と怪談噺ができた。林家正蔵の名前にも重なる芸で活躍をされた。
ここまで三代の圓楽は「芝居噺」が引き継がれている。

彦六師匠は木久扇師匠がものまねする晩年とは別に、性格から「トンガリ正蔵」と言われた人らしい。お名前の変遷を辿って感じたのは「やや激しい人生」の印象だ。ただこれは、印象であって、ご自身がどう思われていたのかわからない。

四代目の圓楽師匠のことはWikipedia情報しか知らない。彦六師匠の弟弟子で、彦六師匠が五代目蝶花楼馬楽時代に、彦六師匠の前名を襲名し、四代目圓楽となったそうだ。

そこまではいいとして、その後に三代目柳亭市馬になられている。幇間芸、大神楽、ピン芸の人だった、と聞くと当代と違って異質に思えるけれど、襲名の形やルールはただの思い込みに思える。真っ当正当もものさしのひとつでしかない。運や間のものが無かったら遊びなしでつまらない。

四代目は圓楽でいた時期が太平洋戦争中(1942年~1947年)だった。以前に静岡の寄席を調べた時に六代目圓生師匠の本で読んだように、戦中の不景気や戦災を思うと、戦後お名前を変えているのが世界が変わった時代を感じさせる。

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五代目の圓楽師匠は、子どもの頃からテレビで見ていた人だ。今は寄席で豪快エピソードを一門の皆さんから聞ける。

エピソードから感じるのは「激しい人生」だ。態度の豪快さもあるけれど、行動と判断が豪快で、自然体か策略か発言行動に「話題作り」の側面を感じる。

若い頃は「星の王子様」と呼ばれ、立川談志師匠とのコンビでテレビの人気者だったそうだ。落語に通うようになって初めて知った。それでも「笑点」に出演していたことは子供時代から知っている。テレビの時代の人、テレビでの売れ方を経験した人、という意味で寄席とは別の脇の仕事を作っていった人にも感じる。

六代目圓生師匠の落語協会脱退事件も、途中のあれこれはあれど、抜けた後の試行は聞いただけで凄まじい。これは印象なので間違っているかもしれないけれど、落語を地方で楽しめる興行、仕組みの発端を作った人達の1人ではないだろうか。

そう考えると、六代目は五代目を継いだ人に間違いない。一説には五代目がかばん持ちをしていた学生時代の六代目を五代目がスカウトしたという。弟子入り志願ではないと。その時すでに、とはいわずとも、都内数件の定席、協会ごとでの興行が中心、ホール落語も始まった頃だろうか。その形以外を模索していける人材と若い五代目が目をつけたのではないかと思ってしまう。楽太郎師匠を信用して、生前に六代目襲名を決められた印象もある。このあたりは六代目の圓楽師匠の高座を聴けたことからの思いだ。

五代目圓楽師匠はお身体の事もあって、楽太郎師匠の六代目圓楽襲名発表会見を私の推し兼好師匠の真打昇進会見で同時に行う荒行に出た。当時のことは残っている情報しか知らないものの、六代目がご自身の御病気と辛抱強く付き合いながらも「四派統一」「圓生になりたい」と強気に押して話題を作られていたのと重なる。

 

六代目と七代目円楽に決まった王楽師匠に共通すると感じるところは「プロデュース」

六代目円楽師匠自ら顔付けをする「円楽プロデュース」で、福岡の「博多・天神らくごまつり」をはじめ、札幌の「さっぽろ落語まつり」、東京での「江戸東京落語まつり」は江戸も上方も協会も垣根のなしの落語のお祭りを定着させては次はと企てておられた。

その六代目からの言葉をきっかけに、顔付けや企画に携わっている王楽師匠を知ったのはいつだったか。圓楽一門会や新宿末広亭の余一会の顔付け話などを高座で耳にするようになり、王楽師匠の印象が変わった。最近は好楽師匠の喜寿祝いの落語会も企画され、舞台裏を配信もされている。

プロデュース力という意味では、王楽師匠のSNS(X)での宣伝投稿には気持ち大き目な異論があるけれど(笑)YouTube配信は今や毎回更新を楽しみに待っている。

ゲストへのインタビューも、仲間の気持ちでゲストをリラックスさせる場が出来ていて意外な話も聴かせてもらえる。演者さんでありながら、「みんなにこの人を知って欲しい」のリスペクトが楽しく伝わってくる。昭和平成のピリッとさせる代々師匠方とも違う、新たな時代の円楽師匠となられるだろう。
一之輔師匠や伯山さんはじめ落語家さんのお祝い&エールのポストも演芸界の良い雰囲気が伝わる。

入口は笑点に出ている好楽師匠の息子さんなの?円楽襲名決定のニュースで初めて知ったわ、という方も、襲名前から高座や配信で好きか嫌いかチェックしてみてはどうでしょうか。

演芸のお祝い会は晴れやかな楽しみがあるし、気が早い所で披露目口上も錚々たる面々だろうな、なんて来春までのニュースも楽しむのが吉。
9月30日の会見は、ご自身は真面目に、好楽師匠木久扇師匠は自然体という感じかなあ。

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