直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

7/31 新宿末広亭余一会 夜の部 兼好・王楽・万橘 三人咄

新宿末広亭7月恒例の余一会 夜の部へ行ってきました。

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いつ撮っても寄席らしい風情の新宿末広亭

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余一会のプログラムは特別興行仕様

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とても楽しかったので、帰ってから忘れないうちに番組にやんやと書き込み入れました。

新宿末広亭7月余一会 夜の部
兼好・王楽・万橘 三人咄

番組:
 開口一番 平林 桂南海
 鈴ヶ森 三遊亭兼好
 幇間腹 三遊亭萬橘
 新聞記事 三遊亭王楽
 「野ざらし」兼好
ーお中入りー
 座談会 兼好・王楽・萬橘
 「化物使い」萬橘
 アコーディオン漫談 遠峰あこ
 「宗珉の滝」王楽

余一会はチケットぴあで席を選んで買えるというので、桟敷を選びました。
毎回足は疲れるけど末広亭らしくて好きです。

開場を待っている頃に昼の部にご出演の文治師匠と扇治師匠が表でファンの方々と記念写真を取られているのを遠目に見た後、桟敷に座るとしばらく楽屋方面から大爆笑が。勝手に文治師匠が盛り上げてるんだろうな、と思いながら足回りを整えて準備ルーティン。

会場内を撮影しようとする方にビシッと「禁止です!」と声を張る係りの方に心で敬礼。カメラで撮らなくても昨日までの下席10日間、神田伯山ティービィーでたっぷりすぎる位末広亭を見れるのにね。今日も見てから来たし。配信のおかげで変に末広亭に通っている気になっている。

開口一番は自称「三遊亭の師匠方とは縁もゆかりもない」桂南海(なんしー)さん。8月中席(11日)から二ツ目に昇進するそうで客席から拍手が。初めて南海さんを見たのが前座なのに大遅刻したという日で、高座を見る度思い出してしまう。おめでとう存じます。

兼好師匠は時事ネタをまくらに。鉄道で紙の切符(磁気式乗車券)がコスト高ということでQRコードなどのタッチ式に差し替わり廃止されていく方向なのだとか。今や自動改札にICカードは当たり前になったけれど、巣鴨駅に山手線で初めての自動改札機が設置されたときはその技術の驚いたものだと力説する師匠。まるで共感していない客席。

自動改札に切符を入れると、人が数歩進む間に即座に読み取り、正誤を確認してちょうど受け取れる形にピタッと切符を差し出す。すごい技術ではないか!
ともすれば何回かに一度は切符がぴょーんと飛んでいってもおかしくないのにピタッ!と止まるんですよ!いつも同じ位置に!という力説の「ぴょーんと飛んでいって」いる切符を捕まえようとする師匠の様子が可笑しくてたまらない。今書きながら思い出しても吹き出してしまう。なるほどそうだな!とは思うのだけれど、普通の大人はそう思ってもあんな調子で人前で話さない。師匠の大好きなところだ。

自動改札がまだない時代、駅員さんが紙の切符を鋏でカチカチとリズミカルに切っていた時代を回想して、ただ切るだけでなく、料金不足や定期の期限切れを見分けながら通勤ラッシュの対応をしていた技術は伝統芸能に匹敵する、なんて話している。

そういう意味では、劇場係員をしてチケットもぎりをしていた時の動きは結構改札で鋏を入れていた駅員さんに似ていたな。チケットを受け取って即座に券面を確認して綺麗に一気にもぎる。公演名とか日付とか会場とか確認することは多いけれど、時間内に通す人の数も考える。電子チケットが混ざると案外流れが悪くなるので導線を分けたり。劇場によっては既にQRコード式のゲートがあったりするけど、電子チケットは交通系ICカードみたいな進化とは違う道に行っているから、まだ紙のチケットはなくなりそうもない。脱線。

技術といえば、と最近の泥棒の手口が技術より力技だという話に。ガラスを派手に割って侵入したり、ショーケースを叩き割ってごっそり持っていく今時の宝石泥棒に対して、スリの集団が存在し盗みが凄技だった頃なら、音を立てず盗まれたことを悟られない手口だったはずとやってみせて「鈴ヶ森」へ。

桟敷席は、目線の高さが高座とほぼ同じ位になるのが好きだ。他で落語を聴くときにはあまりない見え方で舟から高座を眺めている様な景色で師匠が見える。鈴ヶ森は笑わせてくれるくすぐり満載で、親分子分の漫才みたいなやりとりとも間近に見えるし、親分の格好いい泥棒口上には子分の台詞と一緒に「格好良い~」と声が出た。

おしりに刺さったのはタケノコではなくきゅうり。新鮮でトゲトゲしているらしい。痛そう~とか思いながら季節感といえ、このチョイス、人を選ぶ。季節柄とうもろこしが刺さったことがあると思えば平気なこちらの感覚もちょっと可笑しい。

大いに笑った後は萬橘師匠が登場。即座に宝石泥棒のあの手口、本当にやってる人しかできないよねとご指摘が入る。怪盗けんこう。ちょっと見たい。既に心は盗まれてると言ったら萬橘師匠はさらに反論をくれるだろう。楽しい。

南海さんを「落語界の妹弟子」として温かく見守ってきたつもりだが、縁もゆかりもないと思うと腹が立つことを思い出したらしい。しのばず寄席で…萬橘師匠のぼやきはアイドリングだ。どちらかといえば自分もいつまでも根に持つ方だけど、萬橘師匠の苛立ちは方向性が違う。連日見過ぎた伯山ティービィーで伯山先生が「弱者芸」と言い放っていた。たしかに萬橘師匠のは芸の域。

萬橘師匠が幇間を演るのを初めて見たかもしれない。向いてない(笑)けなしているわけではなく、普段からの叫ぶような芸風で太鼓持ちがなんだかそわそわする。幇間の落語のなかでも「幇間腹」だったからかもしれない。若旦那を持ち上げる笑顔が引きつり気味なのが可笑しかったけれど、横になって病人の出す声、ちょっと見ていられなかった(笑)

変わって登場した王楽師匠は、新宿の前に浅草演芸ホールの余一会「三遊まつり」の早い時間に三人とも出て、2%の力で落語をやってきましたとサラッと言って、浅草から新宿へかけもちしたお客さんには浅草も全力でしたと二枚舌。2%で落語やる方が難しいと思う。兼好師匠が年齢を口にしたからか、兼好師匠が入門した頃はまだ大学生だった、月日が流れたと感慨深げ。ファン歴は長くなくとも、同世代としては少し共感する。

「新聞記事」はやっぱり面白い落語で、天ぷら屋の竹さん本人に「夕べ泥棒に殺された」話をしてしまうところが威勢がいい。その先もテンポよく進み面白いなあと思いつつ、間にちょいちょい王楽師匠のフェチな趣味ワードが挟まってきてアラアラアラ。SNSで発信する時も「なぜこの画像チョイスなの?」となる師匠、どうしても挟まずにはいられないらしい。SMまで入れちゃうと、ドン引きする人もいるんだゾ、ぷんぷん(自分にもドン引き)

再び登場の兼好師匠。着物を変えても涼しげ。両方とも小千谷縮かな?いよいよ暑さが異常の日々で毎日着るものの肌触りが本気で重要。着物というより生地に目がいく。

山の事故、海の事故、川の事故が増えている、といっても近頃は普段からやってないことで山でも海でも感覚がわからないのだろう、という話は激しく同意。水の事故は大人が遭うニュースも多い。今年は山もよく聞く。昔は川で泳ぐことは割とあったけれど、1人で行くことはまずなかった。頭で処理することが増えて、体が対応できない危険な場所を判別できなくなっているのかもしれない。

師匠が同じマンションに住む子供たちを川近くで見つけて、危ないと助けに行って遭ってしまった事故。川に近づくときは注意が必要、というより子供に近づくときは注意。水鉄砲で師匠と戯れるのは楽しそう。

釣りの話に入ったので「野ざらし」の普段聞かない前段に入ったのかと思ったけれど、釣った魚を針から外すくだりが可笑しかった「持っている網が小さくて」の小噺。小さい魚と大きな魚、どちらも楽しいのだけれど、ピチピチ暴れる大きな魚を抱える様子が「伊東へ行くならハトヤ」に見えてのけぞって笑った。

言うまでもなく兼好師匠の「野ざらし」は存分に笑わせてくれる。なのに途中大きな雷の音が末広亭に響く。ちぐはぐして思わず天井に顔が向く。幽霊でもいいから女にモテたくて骨を釣りに行く。都合よく妄想してひざまくらで水たまりに半分浸かっても陽気な八っつぁんはとにかく楽しそう。妄想癖は周りを気にしたら負けだな。あの調子ならサゲの後もめげそうにない。よくよく笑わせてもらってあーあ、来てよかった!で仲入り。

長丁場で桟敷席、とにかく足が疲れる。仲入りは腹ごしらえしたり荷物を整理したり東京かわら版読んだり一通りしたあとは改めて足を伸ばしたり。開演する頃よりずいぶん桟敷も埋まっていたけれど、程よいスペースが保てて後半を待つ。

仲入りが明けて幕が上がると座談会。今回もゆるすぎる鼎談になると思いきや、立川流が法人化した話題から圓楽一門会は?の流れになる。このお三方でこの話題はうれしい。とはいえそこは圓楽一門の師匠方。他派がやってるからこっちもとはならない。法人化の利点はビジネス系でよく話題になるけれど、束になる強さと住み分けている感がある。

六代目の円楽師匠が作ってくれた芸協との関係性や落語まつりの流れ、笑点メンバーの師匠が顔になる形からどう世代交代していくのか、という意味では要のお三方だと思いながらも、そこは座談。落語協会会長職から解放された市馬師匠が「円楽一門の会長やるよ!」って軽口言ってる発言に笑う。仲入りで東京かわら版のインタビュー読んでいたから余計可笑しい。王楽師匠のYouTubeで見た楽屋の市馬師匠、今後は高座でも開放的な師匠もっと見れるのかもしれない。

【好楽ちゃん祭り】舞台袖史上最悪の会話連発wwwそして市馬師匠に出演依頼をするもまさかの王楽痛恨のミスが?!【昼の部の楽屋風景:part2】 - YouTube

圓楽一門の現会長は萬橘師匠の師匠、圓橘師匠。師匠選びの話題から萬橘師匠が一番好きな圓橘師匠の落語は「お若伊之助」聴きたい。圓橘師匠の独演会、行ってみたいと思ったままになってた。途中まるで圓橘師匠そのもののようなところがあるんだと萬橘師匠。落語は人となりが出る、の話に圓橘師匠の実は粗忽で可愛らしい所があると聞いた話を思い出す。人となりの話から小朝師匠の真意が読めないひとこと、にっかん飛切落語会で談志の客を笑わせた小遊三師匠の「浮世床」の話題に。小遊三師匠も笑点メンバーでありながら高座が凄い、格好良いと耳にする方。生の高座はもちろん面白いし、音源で聴いても「浮世床」は楽しい。それを知って笑点でキザな台詞の回答をしたり、アラン・ドロン福山雅治だと涼しい顔で言うのを見ると余計楽しい。にっかん飛切落語会の収録と思われる音源は談志師匠、六代目の円楽師匠、兼好師匠などで聞き覚えがあるので雰囲気が想像しながら、楽屋エピソードを話す兼好師匠や王楽師匠がそこにいたのかと驚いた。いくら落語が好きでも楽屋内のレジェンドたちを生で見ることは叶わない。

聴き入った座談会の後は萬橘師匠。ネタ出しの「化物使い」も限られた師匠でしかきいたことがなく、萬橘師匠では初めて。

良く働く杢助とご隠居が案外と気が合ったというのは面白い。すこし仕事の頼み方が優しく見える。とはいえ、人にやらせようが化物にいいつけようが、このご隠居は仕事の振り方がわかりやすく下手で可笑しい。一つ目小僧には梯子に登らせて天井の掃除をさせ、大入道に針に糸を通させ、のっぺらぼうの女に庭の屏風石や石塔の位置を変えさせる。無茶やるなあ。化けていた狸もタジタジ。遠慮のないご隠居がイキイキとして見えた。

今年のヒザはアコーディオン漫談の遠峰あこさん。新宿末広亭の高座を見るのは初めて。アコーディオンを抱え、足元にはシャンシャン鈴、笑顔に涼しげな着物姿は末広亭にもマッチしている。

朝ドラ『寅に翼』で唄われていた曲「モン・パパ」がエノケンさんの歌とはしらなかった。手拍子に歌にとコール&レスポンスで盛り上がる。あこさんで定番の崎陽軒のうたや東京節も楽しかったけれど、何と言っても「ボク、かっぱ巻き」をここで聴けるとは思わなかった。桟敷でノリノリで鑑賞。高座風景が良い風情だった。

トリの王楽師匠はネタ出し「宗珉の滝」
この落語、家で家事をしながら聞いた記憶があるのでけれどどなただったか。太っ腹な方からセットでお借りした県民ホール寄席の志ん朝師匠だったか、どこかのサブスクにあったのか。圓楽一門には同じ腰元彫りの噺に「浜野矩随」(はまののりゆき)がある。話始めたあたりで六代目の円楽師匠が高座復帰した時に聞けた浜野を思い出す。

王楽師匠は名の知れた横谷宗珉に勘当された弟子の宗三郎の驕りを酒浸りの嫌な様子で見せてくれる。目の利く熊野の旅籠岩佐屋にあって目が覚めたはずが、腕が上がったと思えばよそ見してもできる、酒が入る方がはかどると世話になった人の言葉も入らなくなる。心を入れ替えた気になっても、上手くなったつもりでも、ただ上手いだけ。虎や兎が生きたように彫れても、滝を生むには命を懸けてさらに上の域に達する必要があったのかもしれない。今の価値観ではわかりにくくなってきた物語だけれども、了見や心意気は落語の中に遺されいる。二代目の宗珉となった宗三郎も、突き放す人がいて、助ける人があって、育てる人があって世に出たのか。王楽師匠も二世(お父様が好楽師匠)ではあるけれど、そのネタはもう不要でいらっしゃる。

良い会に来れた余韻で終演、末広亭を出た。
座談会の頃に盛大に降っていたらしい雨も傘がいるかどうかぐらいの小雨になっていて夜の新宿で少し寄り道しながらぶらぶらして帰路についた。

 

座談会で気になったにっかん飛切落語会。
よりぬき名演集として昔出ていた小遊三師匠の「浮世床」が談志師匠「五人廻し」歌丸師匠「紙入れ」のセットを帰宅後にこっそりポチる。

8月は中席でも兼好・王楽・萬橘の三師匠の出演有り。
先の番組表をもらったところ、9月上席にもお名前が!


8月中席の主任は昇太師匠、9月上席の主任は笑遊師匠。
どちらも気になる出演者が。

新宿末廣亭

末広亭- X

昇太師匠は笑点でお馴染みですが、笑遊師匠は伯山ティービーですっかりお馴染みなので見たことない方は予習の上ぜひ生でご体感ください(笑)

【密着#07】新宿末廣亭2024年7月下席 〜ゴキゲンな笑遊師匠〜【毎日更新】 - YouTube

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余一会に入場する前に久しぶりに会った方と話すと、生の落語会へ行くのに忙しいと配信を見ている暇がないという。こんなに長々ブログを書けるのも落語に出掛けてない証拠でもあって、つい羨ましうなるけれど、思い出して書いてみると思ったより忘れてなかったり、聴きながら考えていることも出てきて面白い。

落語会へもっと出かけられるようになったら、また手は止まるのかもしれないけど、どの師匠のどんなところが印象的だったのかは頭の中だけに残すのももったいないので書けるうちに書いておこう。