直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり。

強がるのをやめないと平和はこない

 

「諦めが肝心」とはよく聞くが、自分が頑固だとか見栄を張る人間だと自覚しないとスルーしてしまう教えだ。

「意志が強い」「粘り強い」「芯が強い」なんていえば聞こえはいいけれど、要するに頑固でもある。年齢が上がってきて昔よりもっと諦めも悪いし、非を認めないし、わかっているフリをしていると気がつくことがあった。落語に出てくる知ったかぶりのご隠居みたいになっている。他の事も点検しないと危ない。

他人のそれには気づくのに自分のそれには気づけないところが危険だ。
人とのつきあいが浅いから助言も期待できない。
かといってこれから深く付き合う人を増やすために性格を変えようとすることこそ至難の業。工夫している様に見せることこそ強がりに他ならない。

人間だれしも「自分は特別だと思いたい」ものだそうだ。
バカ言って笑いを誘うことはできても、バカにされると傷つく。プライドとは案外難儀な代物。強いとか特別だとか思いたい。思って欲しい。自分でない誰かに成ろうとしてしまう。刺激を求めつづける。平凡は敵だ。人生山あり谷ありを求めていく。求めなくても来るのに違う山も谷にも出かけていく。たしかに平和は来そうにない。

過去の失敗ものど元過ぎて一度平和が来ると忘れてしまう。困ったものだ。
ただ経験的に「無理をしない」のが肝心なことはわかってくる。薄く薄く、少しずつ修正してきて得た安らぎは強がるのをやめたところから生まれた。
「無理をしない」のが「諦め」ともいえる。

今これを書く理由は「諦めが肝心」なことに直面しながら
今まですぐに諦めていたことには「今に見てろ」と思っているから。

白か黒か、0か100かをやめる癖をつけてきたけれど
まだまだその思考でなんとなくやってきてしまっていることは多い。
与えられた情報だけで判断すれば楽で、上手く行かなければ他責にできるけれど
その世界から抜けたいんだった。

世の中の刺激で注目させる情報も実際多い。見ないように離れていても受動的に入ってくる。だからまずそれが「受動的な情報」で「取捨選択(受け流す)訓練が必要」と自覚する必要がある。受け流せない気持ちをここに書き残しているのも手放す手段になっているのかも。

 

自分が特別ではなく平凡で、ただここまでの道程が平坦でなかっただけ。
バカにしてくれる人の中で信用できる人を見つけて、
情が深い人だとしても愛ではない情なら感謝して離れよう。
頼りは他寄りで自分から離れてしまうことかもしれない。
必然の縁があるならまたいつか再会するだろう。

休息が必要、も人によって段階がある。
特にこの時期は氣が滅入る季節。
「そういう季節だと思って諦める(休む)」のも肝心だ。

 

前の失敗で手放したことがたくさんあったから、私は今はこれぐらいで済んでいる。
前の休みで助けてくれた自然や味方を思い出すだけで、悩んでいることに打てる手が他にないと思ってしまう思い込みから離れられる。
プランAに執着しないで、プランB、プランCとまず想像して面白がろう。

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今年もユキノシタが綺麗に咲いてくれた。
毎年長期休暇取れるように算段出来たらベストだな。
この3年で強がっていたことをまずリストアップして笑ってみよう。