タイトルが真面目。
NHKのクロ現でAIポルノ画像が勝手に作られて拡散される性的被害が増えている、という話題を見ました。AIもいい迷惑ですね。
中学生が卒業アルバムを悪用?! 身近に迫る“AI生成ポルノ” - クローズアップ現代 - NHK
日本は法の整備が追いついていない、という話が出てました。近頃その論点が多いなと思います。論理的に話を運ぶ時に使いやすい方向性だと思いますが、欧米人みたいです。多分以前は法整備がなくても秩序がある程度保たれる世界だった、道理道徳で判断を促す世界だった、んだなと思います。ただし、闇に伏されていたこともあったとも思いますが。
いま問題として出る性的暴行やジェンダー、ハラスメントなどの話題は、可視化されてきましたが、ポルノなどは、追いつかない事象といえるのかもしれません。
単純な「想像力の欠如」とも思えるし、手軽に共有できる道具とコミュニティがあって「見せたい」や「楽しい」が判断力を落としているのでしょう。判断力が育っていない年代の子供だけのことならまだしも、そうではないことはこどもにもわかる世の中です。
なんでそうなるんだろう?と考えてしまうと、限りなく思うことが出てきてしまうのだけれど、昔からずっと「相手の気持ちを考える人」と「考えられない人」はいるのです。或る意味どうしようもない。どちらかがいなくなることはない。今回の事ではなく、世の中の判断の中には、相手の気持ちを考えることが良いとは限らない場面もあるとも思いますしね。自分を差し置いてそうしてしまう人にとっては、害になることもあります。
だからといって、被害に遭ってしまう人に自己責任だなんて言えるわけがない。
でも、被害に遭わないために、可能性をゼロに近づけるための対策や武器は持っておいた方がよいと思います。
オバサンの私も時代が違えば被害者になるかもしれないし、子どもがいれば心配がつきないと思いながら、「だとしたらどうする?」を考えます。
怖い思いしたけど、その体験が糧になったと思うことも。
自分よりもずいぶん年上の男の人に追い回された時は相手は好意だというがギャン泣きして逃げた。子供の遊び場で父親ぐらい歳の離れた男の人に不意に体を触られた怖さ、すれ違いざまや電車内の痴漢、成長過程で見たこちらが受けれられない異性の言動など、性的なことだけでも「注意しなければ」と思ったことは、私自身の学習(インテリジェンス)だったなと思うんです。
その時に「相手の気持ちを考えられない人間がいる」ことを学習して、もしその相手がもっとヤバい人だったら、気づかずに相手をしてしまったら。危険な領域の手前で逃げられる距離感は持てた気がします。
そしてそれは、異性だから、年齢が違うからだけではない、自分と自分以外の人の感覚の違いも含まれています。怖さや拒否だけでなく、理由や相手の動機に気づけると、落としどころがわかることもあるのかもしれません。ダメなことはダメですが。
ネットの世界を覗けば、大人だろうが子どもだろうが、だれかの著作や肖像の権利がある画像を転用したり転載したり加工して遊んだりするのはごく普通に見かけます。
子ども同士のコミュニケーションで生まれる「誤報」「独断」「行き過ぎ」は、SNS上の「フェイクニュース」や「炎上」「名誉棄損」となんら変わらない。他人に言ったり共有する前に、本当に大丈夫なのか考えていない、感情の先走りが多いのかなと思います。
今はインフルエンサーなどと呼ばれる人が拡散できるSNSなどの仕組みを使って「欲動」「扇動」する人が増えているのは間違いないと思います。
そういうテクニックや力がある人達が、道理や道徳なんて糞食らえというとウケて人気になる。面白いと注目した人は不思議もなく賛同してしまう。ネットに乗っていればアリ、アプリストアに並んでいれば合法だろう、バンされるまではOKで、選別される前の動画は受動的に見れる世の中です。
表現の自由を盾に検閲は拒否。でも気に入らない人間は徹底的に叩いて晒す。そういう場面を日常的に見ているうちに、グループLINEでも、DMでも、遊びでも、マウントを取るにも、辱めを受けされる制裁としても、恋愛感情の延長でも「やっていい行為」に含まれてしまう。その行動がきっかけで恨まれたり、嫌われたりする先に、犯罪加害者や被害者に発展する可能性が連鎖的に生まれるように思います。
加害者側で取材を受けていた人の中に「だんだん物足りなくなってきた」という人がいた。前もクロ現だったか、児童ポルノの盗撮をする人達も同じようなことを言っていた記憶があります。
今は同じ様なことをする人やコミュニティがネット上で見つかるようです。同じ趣味嗜好の仲間ができて見せ合うことが出来てしまう。趣味としてやめられなくなることも、感覚を見失うことも、常習化することにつながる条件に思えます。
個人的に楽しんでいたものを「見せたい欲求」が増す仕組みは昔ながらの掲示板やSNSと同じです。良いことも多いですが、いままで好きでもなかったことに時間を使うようになったり、結果的に視野が狭くなったり、感覚を逸脱してしまい、誰かを傷つけたり、思いもよらず自分を犯罪者にしてしまうこともあります。
楽しいことも、暴力や犯罪に成りうることも、依存的になる行為には自分でも気づかない判断力の欠如が生まれます。自分の判断がまともでなければ、AIが作成しようが、自分で加工しようが、結果もまともじゃないに決まってます。
法的な整備をしたところで、違反者を追究する予算や人材は限られているし、国や法や警察が守ってくれる範囲には限界があります。当てにしている場合じゃない。子供の方がよっぽど好奇心に従って学習するし、大人だってやっちゃダメなことに興味を持つ。人間の方の学習と判断力をつけることを考えるのが先決、優先です。
その術として、ネット情報などで注意喚起される「事実かどうか確かめる」「正確な情報ではない可能性を意識する」ことが基本なわけです。そこが最近は「どうでもいいこと」「自分の人生に影響がないこと」だと認識されていて、だれにも注意されない、口出しされないで過ごせてしまう。
はじめは画像の加工が楽しかっただけかもしれない。刺激が足りなくなって画像を選ぶようになった。あとは欲求の虜か、共有した仲間に喜ばれて求められるままエスカレートしていくか。いずれにしてもノーブレーキ。放送や情報で異常に気付いて、自分で節制していってほしい。
「好きな人の画像が裸に加工されてSNSで拡散されたらうれしいの?」
「好きな家族の画像が裸に加工されてSNSで拡散されたらうれしいの?」
「あなた(提供した本人)の写真が同じように裸に加工されて拡散されたらうれしいの?」
という質問にどこかで出会ってほしい。もし、それが平気だと言い切る人がいたら、それこそ人とのつながりに何か障りのある人なのではないかと思う。
番組で紹介されていた話では、卒業アルバムの画像をポルノ画像(裸)に加工した場合、顔は実在の人物で体の部分を加工していると、加工だけでは違法性がない可能性があるそうです。(SNSに投稿するなどした場合は名誉棄損などに問えることがある)その基準、ヤバいですね。
でも、大阪の検事正とか、娘を襲った父親とか、性的暴行で検挙された人が無罪になれる気でいるみたいですし、ね。気持ち悪いAI女子みたいなアイコン大量に出回ってますしね、麻痺するのも不思議に思えない変な世の中。
オバサンは昭和の耐性のおかげか、ネットのフェイクな世界がつまらないのか、イヤらしいという感覚より「センシティブかポルノで通報かどうか」確認してしまいます。そもそもそういう映像を見る世界から距離があるのですが、たまに見ると「ああ、AIが作らされててかわいそう」とスルー。
なんでも写真や動画を取って共有する世界で育っていたら、どうなったんだろう。
AIの進歩はすごいとは思うけれど、人間の方に自制が無い限り、自己防衛か許容の選択に成り続けるのではないでしょうか。
今、自分の裸がSNSにさらされて、友人知人から知らされたらどうするか?と考えてみると、恥ずかしいと思うかもしれないけど、拡散されて泣く両親はもういないし。いい年なんで、相手を見つけ出す興味はあれど、それをするしか発散方法がないということに悲しさを覚えますね。これは薬物やギャンブル、闇バイトや詐欺だとか、中毒や依存に関わるもの共通の不全な環境を思わせるからです。
一番の防衛手段は、家族でこういう話題が話せるか、かもしれません。
結局は、人と話したり触れ合ったりする時間に不満や不安があって、裏切らないものに依存してやめられないんじゃないかと思ってしまうのは、メンタル面に関心が高いからですが。
結局長文。