毎週ほぼリアタイで聴く「小痴楽の楽屋ぞめき」にて。
冒頭の番組紹介をした「立前座役」の桂九ノ一さんのことから、東西の落語ワードの違いについて。
小痴楽さん:(「立前座」は)どういう意味で「立て(タテ)」なのかはわかんないべ瓶さん:「初舞台」とかね。「初高座」とは言わへんなあ。
なんて話が出て、なんとなく東西落語の成り立ちの違いが出てるのかな、と思ったりする。
「立て」は歌舞伎からきた「立役者」なんて使い方と同じだと思うとなるほどね、と勝手に納得していた。強調していうという意味で「立てて言う」とか耳にすることがある。「立前座」になると別物に感じられるのだろうか。それとも「立役者」も死語なのか。
「舞台」は文字通り舞を踊る場所のことで、基本的には神様に捧げる踊りから始まっている。「檜舞台」はハレの場という意味でつかわれるし、舞台を神聖なものとして扱うよう教えられたこともある。芸能に関わらない人にとっては、公民館や学校の体育館みたいにちょうど荷物置ける所に見えるかもしれないけど。
上方は大道の芸として始まったから「高座」が馴染まないと聞いてなんだか納得した。
江戸の落語は座敷からということがあるけれど、神社の境内に人を集めて寄席が始まったともいわれている。
現代的な感覚だと神社とお寺は違うと思えるけど、明治以前の神仏はもっと距離が近かったし、座敷から始まって高座(たかざ)で見せるようになったのが合わさった感がある。口上で「高座からではございますが」「座は高こうございますが」なんていう言い回しを思い出す。
なんだかんだ想像してるだけでファクトチェックなんかしてませんのであしからず。
日本語は洒落なんかもそうだけど、文字の意味より音の重なりで培って来ていると思っているので、意味はその時代の人が勝手につけなおすこともあるぐらいに思ってる。これはただの持論。
いつだったか、池上本門寺の音楽フェスに行った時にお寺は人が相談ごとにきたり、イベントをする場所だったんだとご住職が話されたのを聞いたことがある。落語にも登場する富くじは、湯島天神や椙森神社と神社だけれど、「江戸の三富」には目黒不動と谷中の感応寺が入る。今より境内の敷地が大きく、みどころもたくさんの有名なお寺も多くあった。江戸の落語は座敷芸というか、座敷があった場所に縁があったんじゃないかと思う。昔の畳敷きの寄席の光景、町内にひとつはあった寄せる場所。大道と違ってたくさん人が集まって座ると、演者はおのずと見えるよう高座になったんじゃなかろうか。
個人的に落語にハマる前から古いものや人の暮らしを調べることが趣味みたいなもの。
予想してみて正解を探すのも面白い。
一方で、古いことを調べてきた感覚からして、言葉の変化は流動的。さっきも書いたように、ちょっと生き物みたいなところがある。地域や家族、周りにいる人達との交流の中でその人の言葉ができて、人から人に受け継がれるお国言葉もある。大きな声を出さなきゃならない場所で育つと語尾が強くなり声が大きくのなるものだし、そこから大きな声がやかましいと言われる場所へ行けば合わせていくのが人。同じ土地でも時代で語尾が変化したりもする。
言葉の違いや発音の違いは耳でどこの話かわかりやすく、風情が感じられる。
東と西の違いは残って欲しい。
以前読んだ本に書いてあって興味を引いたことをいくつか思い出した。
真打ちの前に二ツ目だけでなく三ツ目四ツ目があったらしいとか
上方に階級制度や寄席が無くなった戦火のことも。
落語も暮らしも言葉も、積み上げたり無くなったりして今がある。
亡くなった時は、どうしても明石家さんまさんの師匠のイメージが強くなってしまったけど、子供のころから見てたなと思い出した。
自分から探して聴くには遠い師匠を知れるのはラジオの良さ。今回も聴けてよかったこのコーナー。笑福亭松之助師匠のことがたくさん知れて師匠の高座聴けて面白かった。
テレビで昔の記憶はラジオでの声よりテレビの顔で覚えていることの方が多く、名前を憶えていることがほとんどない。名前とご活躍が今更知りなおす師匠方の多いこと。
思えば漫才師の関西弁よりずっと前から、落語家の上方言葉を耳にしていたんだな。
