直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

落語好きの「フェイク耐性」

昨日書いた辛口苦口記事
アクセスが伸びていて若干驚いています。

圓朝研究なんて生ぬるい記事より毒がある方が読者の好みなのでしょうか。
仲間意識が高まります(笑)

文章にするとあらぬ誤解が広がる世の中なので
避けてた系の話題でしたが
良く考えたら著名人でもなんでもないので
自分の部屋ならまあいいか、という気になってきました。
またすぐ不安になって書かなくなる気もしますが。

 

今日の話題も個人的意見なので
大らかにお読みください。

 

先日から話題の岸田総理のフェイク動画について
「今や簡単に作れる」ということで1時間ほどで生成したというフェイク動画をニュースで取り上げていました。
短時間生成ということもあって荒が見えるものでしたが
1年後、3年後には動きや声の不自然さはわからなくなるなるそうです。

過去の経験からか性格かわからないのですが、
よく注意喚起される詐欺メールや乗っ取りというものにあったことがなくて
フェイク動画の影響力がわかりません。

岸田総理の顔をして、テレビ局のロゴが入った動画なら
信ぴょう性があると思う人が多いのでしょうか?

 

確かに経験則で得た知識として

・情報の出所を確認する
・映像に不自然なところがないか確認する

ぐらいのことはするので、2つのうち1つが問題なかったら
騙されてしまう可能性はあるかもしれません。

 

あと、個人的な基準として

・切り取られた情報をそもそも信用していない

というのもあるので、
確認するのに時間をかけて逃げ遅れる可能性はあっても
騙されて犯罪に巻き込まれる確率は下げられる気がします。

 

この手の話題を耳にすると、思い出すエピソードがあります。

寄席や落語会に通ううちに無意識に見についていた
「高座を楽しむ下地」のようなものを自覚した話です。


推しの落語会(独演会)で知り合った方と寄席で会って
一緒に帰ることになりました。
その日は独演会ではなかったので、推し以外の出演者もいて、
マクラで円楽師匠の不倫ネタを出した人がいました。

知「それにしても、円楽師匠ってまだ不倫相手とつきあっていたんですね、
 信じられない!!!」

私「え、本当の話だと思っていたんですか?」

知「え?」

私「高座で話していることなので、話半分で聞いた方が楽ですよ」


この会話、どう思われるでしょうか?

私も少し感覚がバグっているので、女心の怒りに不理解があるので、
他人の不倫でも許せない女性がいることは知識でわかるのですが
怒り方に本気が入り過ぎていてちょっと慌てました。

慣れないうちは、落語家さんが話すことがすべて本当だと素直に受け止める方は多いようです。皆が皆、落語に通うわけではないですものね。

私が落語にハマる前から落語会でもいろいろあったのでしょうか、
わざわざ楽しく話したことに師匠自ら「ウソですよ?」と注釈を入れる方もいらっしゃいます。演者さんにご意見される方がいるのだろうと思います。
寄席が講義みたいにならないことを願うばかりです。

私も子供のころはテレビで見るお笑いがイジメみたいで面白くないと思ったこともありました。それぞれの演芸の癖ともいえるし、確かに慣れが必要なのかもしれません。

とはいえ
議会や裁判の場でもなく、真剣に話さなくてはならない場でもない、業績を落とさないための調査でもなく、笑って発散する場所のこと。

本当か嘘かを測らず聞いていられるから笑える
本当なら酷い話なのに笑ってしまう
この場にいる人達だけの秘密の共有だから笑える
どこまで本当でどこまでウソかわからない面白さ

落語の芸にはそれも入っていると思うので
(たしかに不倫の話題はチョイスが微妙ですが)
”大体はウソだと思って” 楽しむぐらいに聞くと
「実は本当だった」「割と勉強になる」
良い趣味になるのではないかと思った次第です。

真実しか口にできなくなったら正気を保つのが難しい気もしますしね。

 

今時は何をするにも証明だの証拠だの安全だのが必要で
うかつなことも口にできないので

苛立つニュースに反論してくれたり
思ってたけど言えないことを代弁してくれたり
おふざけ妄想を楽しげに話す様子を眺めたりしてくれる師匠方の
素が出ちゃうところを見つけるのが楽しいぐらいなので

落語を楽しめる人達は

「フェイク耐性」があるのじゃないかと思ったりします。

 

世の中に出回っている数字や映像も
都合よく割り出されたり編集されたり加工されたりしているわけですから
自分に不要なフェイクは見もせず流して
感覚を楽しませてくれる人のウソ冗談を聴きに
寄席に行ったらいいのではないでしょうか。