直子の部屋

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寄席・落語家の100年を知る推薦図書?(個人比)

今回は寄席・落語家の100年資料といえる書籍感想つれづれ。

 

橘左近『東都噺家系図

前回六代目圓生若手時代の静岡興行に触れた。
entsunagi705.hatenablog.com

一座の多くは当時の若手だからか詳細不明。
四代目橘家圓蔵の一門について調べたく
橘左近著『東都噺家系図』を手にしてみた。

結果からいうとこの本は一門について書かれている本ではなかった。
落語発祥から200年分の江戸・東京落語家名跡百系統をまとめたものだ。
左近師匠も書かれていたが、噺家の系譜をすべてをまとめるとは口で言うほど容易なことではない。

名跡ごとに系譜にまとめ、継いできた人物を代数ごと説明し、名跡を襲名するまでの名、更に変えた名前などもまとめられている。あるものは写真も掲載されている。
併せて出版当時の現役落語家についても紹介されている。

東都噺家系図

東都噺家系図(筑摩書房)1999年

 

橘右近『寄席百年 : 橘右近コレクション』

ブログで落語の自由研究について書くきっかけになった
三遊亭圓朝の静岡興行。

寄席があった場所を調査していたところ
圓朝の興行ビラが残されていたことがわかった。

しかも現在は江戸東京博物館蔵の橘右近コレクションとして
デジタルアーカイブで家からすぐに確認できたことが
自由研究を俄然やる気にさせてくれた。

寄席ビラ(三遊亭圓朝)| 江戸東京博物館デジタルアーカイブス 

このビラが静岡の興行のものだと認識したのは
ネット上に公開された画像からだったが
圓朝のビラとしてわかりやすく華やかで目立つからか
改めて見回すと手元にある落語に纏わる書籍にも載っていた。

橘右近コレクションの圓朝が使っていた道具なども
幽霊画の展覧会で見た覚えもあった。
もしかしたら見つけたというビラも
実物を既に見ていたかもしれない。

橘右近師匠とコレクションの存在感を思い知った。

 

実はこのコレクションは1982年に一度書籍にまとめられている。

寄席百年: 橘右近コレクション

寄席百年: 橘右近コレクション(小学館)

その後10年以上右近師匠がご活躍だったことやコレクションの規模を考えるとすべてを網羅しているわけではないかもしれないが、この大型本は展覧会の図録と橘右近の知で寄席百年を表したようなものすごい書籍だった。

この本を静岡興行のビラを作った「ビラ豊」やビラ文字の歴史について調べるために一度手に取って見たことはあったのだが、ビラに関することだけ確認する程度しか読まずその凄さに気づかなかった。

収集された品は寄席ビラに留まらず、噺家のブロマイド、引き継いだ集古庵の品、初代橘家橘之助に纏わる品、圓朝に纏わるもの、噺家時代の右近師匠が依頼した噺家の色紙、大正、昭和も初期や戦後の寄席の資料や噺家団体の写真も多数。大正6年の寄席演藝地圖はそれだけで見ごたえがある。先日『東京人』の落語協会100年特集で見た写真も多くあった。右近師匠の仕事を見せる物でもあったわけだ。

それらの目にも華やかな資料とは別に感動したのが「右近寄席噺」

右近師匠は18歳で三代目の柳家つばめ師匠に入門したが、その前から親元を飛び出して芸に向かう。
寄席で過ごし、噺家として過ごし、前座時代二代目ビラ辰の仕事を通い見て、寄席でビラ字を書いた噺家に教わり書くようにもなり、ビラ字書きが仕事になる。関東大震災も戦時中の疎開も経験し、寄席の楽屋主任となり、時代で失った収集をしなおし、集古庵というコレクションを引き継いで研究する人達と繋がっていく。落語界をけん引するリーダー達の後押しが繋がり寄席文字を確立し家元となる。出会ってきた寄席と噺家達の記憶を詳細に交えた文章は壮大な橘右近一代記だった。

橘右近の主観でありながら演者側と寄席側、ビラを書く職人として、落語と寄席の資料蒐集家としての複眼の視点が掛け算の記録。コレクションにも勝る資料だ。

中に地方巡業の話も少し書かれていた。
どちらかといえば東の方へ旅をしたことが多かったらしく青森、函館、金沢、甲府あたりの寄席の名前が出ていた。
また六代目圓生の『寄席切絵図』にも載っていた名古屋の文長座も登場する。
これは立花家橘之助と橘ノ圓夫婦が名古屋にいた時代ということで
関東大震災後のことかもしれない。橘之助師匠の再婚相手だった橘ノ圓師匠は世間でいうものとは違ったこと、ご夫婦の住まいのことなど丁寧に書き記されている。

六代目圓生とのエピソードもあった。
何度か紹介している『寄席切絵図』は昭和52(1977)年に出版されたが、
翌年にいわゆる分裂騒動となり圓生は昭和54(1979)年に他界。
右近師匠とは資料収集の話もする仲で『寄席切絵図』に続く書籍を出すために集めた資料を一部余計にコピーして右近師匠に見せたという。

読み進めてきたことに一定のテーマがあるからかもしれないが
このエピソードがうれしくも圓生師匠の次が読めないのが残念でもある。
ただ橘右近師匠の資料を改めて手にして読めたことは幸運だ。
ルーツを調べ今を遺そうと行動していた人達の話を受け取れた令和の読者として。

山本進『図説 落語の歴史』

文章を追っていく落語界も好きなのだが
「図説」というところに惹かれて一度見ておきたかった本。

図説 落語の歴史 (ふくろうの本)

図説 落語の歴史 (河出書房新社・ふくろうの本)  

コンパクトにまとめられているにも関わらず
歴史の流れがわかりやすく難し過ぎず手に取りやすい。
特に略年表は出来事を追うのに便利だ。

貴重な写真も載っていた。上野鈴本は戦前(昭和12年)と戦後(昭和29年)と、右近師匠が楽屋主任をしていた神田立花や戦後の池袋演芸場人形町末広、新宿末広亭などもある。サイズは小さいが『寄席百年 : 橘右近コレクション』にあった大正6年の寄席演藝地圖も載っている。2006年出版。

「図説」がどんなものかと手にした本だったが著者の名前に憶えがあった。
『寄席切絵図』のあとがきで見たお名前だ。

圓生師匠の著書『寄席育ち』『明治の寄席芸人』『寄席楽屋帳』と『寄席切絵図』では実質”語りおろし本”の編集者という立場。聞き書きの名手と呼ばれ方だとか。

一昨年亡くなられた際に訃報を見たことを思い出した。
見た記事には書かれていなかったと思うが、圓生没後の名跡止め名の署名をしたお一人らしい。親交が深かったということだろう。

連続して手にした二冊に同じ人が携わっていたのも驚くが『寄席切絵図』から約30年後に『図説 落語の歴史』を出されてたということを知れたのもうれしい。
その出版から更に18年経過しているが、今も楽しめる手にしやすい落語の歴史本だ。

寄席・落語家の100年を知る推薦図書?

落語界の100年を濃い内容で教えてくれた書籍4冊。
年代順にしてみるとこうなる。

 昭和52(1977)年    三遊亭圓生『寄席切絵図』
 昭和57(1982)年    橘右近『橘右近コレクション 寄席百年』"
 平成11(1999)年    橘左近『東都噺家系図
 平成18(2006)年    山本 進『図説落語の歴史』

年代が進むごとにまとめられ方も工夫され、かつ内容は途切れず繋がっているのがわかる。

落語を楽しむ諸先輩からしたら当たり前の本かもしれないが
生の落語で笑いたいが出発点なので
こういう本を手にすることになるとは驚きで
落語のどのあたりに興味を持っているのかを再確認できる機会になった。

落語を通すと興味を持って自由研究になり面白く知ることができて、更に落語を聴いて想像できるものが増えるのは好循環。

江戸時代から続く、と聞いてはいても落語には江戸時代にないものもよく出てくる。
けれども明治大正昭和のことは落語界だけでなく意外に知らないことが多かった。
同じ時期に手にした4冊で知らない時代を何往復か旅できたのは良かった。

先日の『東京人』の落語特集もライトな歴史本として5冊を直近の寄席・落語家の100年を知る個人的推薦図書としておく。

 

残念ながら4冊の著者全員が鬼籍に入られてしまっていた。
新たな発見をまとめてくれている現役はどなたになるのだろうか。
興味を持ったばかりで見逃しているだけかもしれないが。

今研究している人や団体、情報はどうやって知ることができるのだろう。
それぞれが趣味として繋げたものが集積される仕組みと
それを見つけられる場所があればいいのに。

明治時代を調べて国立国会図書館に触れることになり
意識的に記録を遺していこうという動きも知って
古い時代を知ることと同時に整理して取り出せる動きにも関心が高くなった。
出版物を待つしかなかった時代より便利になって欲が出る。

おまけ

明治期に系図にまとめられたものに「文之助系図」と通称される、四代目桂文之助著『古今落語系圖一覧表』というものがあるそうだ。
これに山本進氏が校注をつけたものが平成16(2004)年に日本芸術文化振興会から 演芸資料選書『古今落語系図一覧表』として出版されているらしい。

日本芸術文化振興会国立劇場を運営している独立行政法人だ。
劇場運営だけでなく伝統芸能の後進育成や資料収集、研究資料編纂も行われている。

実は昨年秋に閉場した国立劇場の図書閲覧室が今月から再開していることに気づいた。
前日までの予約が必要とはいえ、演芸資料には事欠かない上、国立国会図書館も徒歩圏内。閉場前にも所蔵品の展覧会や推し師匠の記録映像視聴で出かけていたので資料閲覧はどうなるのか気になっていた。
再開を知って行く機会を作ろうと思った矢先に次のカギになる資料が半蔵門にあるとはお導きのようで楽しい。

もし行くとしたら懐かしい場所なので平河天満宮さまと可否道にも立寄りたい。