最近読んだ本の巻末で興味を持った本を読んでいる。
2冊あって両方とも青蛙房さんの本。
今日はそのうち一冊から。
タイトルに惹かれた通り、頭から30ページでもう楽しい。
「引札」とは今でいうチラシ(配る広告)、
「繪(絵)ビラ」とは貼り紙、ポスター(貼る広告)のこと。
この本にはその呼び名に定まるまでのこと、広告を兼ねた宣伝・販促方法の時代的な広がりや変遷について書かれている。
暮らしの中にある広告の話なので、江戸明治大正だけでも商売全般に繋がって幅広い。
この本の中では江戸・明治の広告媒体の話がでてくる。
刷りものなら錦絵や暦、見立番付、双六や景品、書籍巻末の広告。描かれている人でも物でも宣伝になり、景品は今でも販促品に使われる。巻末の広告は正にこの本を手にしたきっかけになった。「名入り」「ロゴ入り」はそのものが名前を知らしめる品になるので、落語にも登場する印半纏やお得意に品を運ぶ風呂敷も動く広告だったと考えるとなるほど面白いと思う一方、工夫が過ぎて広告が鬱陶しく読みづらいネット記事に思い至る。
人が集まる場所は宣伝には価値がある場所で、神社仏閣では有名人の奉納絵がある絵馬堂や手水場の奉納手ぬぐいや千社札が信仰から宣伝目的に広がる。芝居小屋遊廓も人が集う交流の場であり、役者や遊女が広報役を兼ねていた。長唄や端唄がCMソングを生み出していたとも書かれている。テレビやSNSでCMが流れ、有名人や人気を集める人ががインフルエンサーになる現代と変わらない。
そう考えると落語に贔屓の店の名が織り込まれているのも
当たり前の宣伝だったのかもしれない。
(増田太次郎氏の収集資料の一部)
増田コレクション - 株式会社オリコミサービス | 折込チラシ・折込広告のプロフェッショナル
頭30ページで楽しくてたまらないと感じたのは、上にも書いたように
好きな落語や演芸の中に残されていることや関連していることが出てくるからだ。
落語「提灯屋」や噺しの中に登場するものがたくさん出てくる。
それに加えて、著者の増田太次郎氏が静岡(焼津)のご出身で、地方の風俗の比較に記憶としての静岡が登場するのも個人的に楽しい。
ビラについて書かれている中にこんな一文があった。
ビラといえば、市街の板塀や柳の木の下などに貼られた芝居・見世物など興行物のビラがあり、また銭湯に貼られた寄席ビラがあった。(『引札繪ビラ風俗史』P.17より)
昨年ブログにも書いた自由研究で
三遊亭圓朝師匠が静岡市内の寄席で興行をした記録を調べた。
興行が行われた証拠として重要な資料として
寄席文字の橘右近先生が残してくださったビラの存在があった。
落語に出てくる人が集まる場所といえば床屋やお湯屋。
そう考えれば当然と云えば当然なのだけれど、
興行のビラは寄席や近所の往来に貼られていたと思い込んでいた。
湯屋に貼られる寄席ビラ。
昨年調べた時には知れない新しい発見だった。
今読んでいるもう一冊の青蛙房さんの本
三遊亭圓生『寄席切繪圖』にも静岡の寄席の話が出てくる。
圓生師匠の思い出話に寄席ビラが出てくるわけではない。
圓生師匠がまだ圓好という名だった頃から関東大震災の後あたりまでの話で
入道館という寄席の記憶が書かれている。
その中に桜湯という銭湯が出てきて、興行の折には使っていたという。
ただそれだけの話なのだけれど、寄席と銭湯というので
繋がった気になったりしてニヤニヤする。
最後に余談がまた来てしまうが、
桜湯は別館だった場所が現在の桜湯として残っている。
また、入道館は昨年生誕150年だった桃中軒雲右衛門と関わりがある寄席だ。
桃中軒雲右衛門の話も、圓生師匠の静岡興行の話も
面白い話が残されているのでまた別の機会にぜひ紹介したいのだけれど
ちょっと本を読むたびに、調べる度に
こういう余談が「演芸」×「静岡」で度々見つかるのが面白い。
増田太次郎氏が静岡の方で、橘右近先生が残してくれたビラが静岡の寄席のもので、
ご年齢も近いお二人に接点があったのか知りたいところではある。
本の中に出てきた「提灯屋」は小三治師匠の一席として紹介されているので
寄席でビラの話をしていて欲しいと思ったりする。
おまけ
この記事を書き終わった後、レコーダーの録画番組を整理しようと何気なく見た
5年前に録画した「日本人のおなまえっ!」の落語家の亭号話を見ていたら
学生時代にもたくさん見ていた浮世絵が。
お湯屋にいっぱいに貼り出された寄席のビラ。
あれ、浮世絵でこんなにたくさん見ていたのにすっかり忘れていたとは。
浮世絵で見る江戸のお湯屋と
子供のころにはよく行った銭湯の景色が繋がらなかった
記憶力は諦め
明治大正時代の銭湯写真もまた探してみたい。