直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

推し活図画工作再開できた! 贈り物の流儀

今年は私の推し、三遊亭兼好師匠の芸歴25周年。
お祝いの会「まるっと兼好」が11月27日(月)に銀座ブロッサムで行われます。
間違いなく楽しく笑えるのでぜひ足をお運びください(まずは勝手な宣伝)

 

今日もタイトルがまとまらず話も長いのですが、
「手作りプレゼント」のお話です。
推し師匠の25周年記念で久しぶりに手作りをしたので
以前に作ったものを振り返りました。

 

突然ですが、私の推し活には自然にできたポリシーがあります。

それは

 

「金では勝てない」

 

というものです。語気が荒い。

見栄を張ろうとも大したことはできないという戒め(?)なのですが、
「だったら工夫した方が面白いよね」という発想で推し活をしてきました。

(推し活という言葉を乱用しているので、本来アイドルを推している人達と全く違う活動内容の可能性があります。よく知らず使ってます。先にお詫び申し上げます)

 

見た人が情報元がたどれるアプリを使って画像をコレクションしたり
頼まれてもいないのに落語会のスケジュールを発信したりも
その推し活の一端でできたものです。

 

それでも他の誰かが推し師匠にプレゼントを渡す様子を見ると
競うつもりもないのに中身もわからないのに
眩しく見えて勝てない気持ちになるのはなぜでしょうか。

 

そういう気持ちに惑わされないために
金目のものは他に任せて
私だから持って行けるものを工夫するようになりました。

 

落語家さんへのプレゼントやご祝儀のことは今日も触れてはいますが
謎めいたイメージもあるので
また機会があれば思うことを書こうと思います。

私がプレゼントで工夫すると言えば、主に図画工作です。
手を使うもので比較的得意で
手軽にできてプレゼントに応用できるもの
ということで切り絵や切抜きになるらしく
振り返ったらなにかを切った工作ばかりでした。

推しにプレゼントしたものをネットにあげるなんてきしょい。
その気になった今しかできません(心の声)

 

作るからには
「自分だけでも気に入っていなければ意味がない!」
という気概のおかげで少し楽しいプレゼントが誕生しますが、
推しに喜ばれているかわからないハイリスクも伴います。

 

他の方が作られた手作りグッズやオリジナルグッズは
見せてもらえると愛がすごくてこちらまでうれしくなってしまうのに
自分には何かを課しています。
思いついて作ったものを見て相当浮かれた上で反省もするのでしょう。

私の推し師匠は楽しそうで笑顔が基本の方なので
「きっと目は笑っていない」ということにしています。

行き過ぎた推し活はズドンと嫌われちゃいますからね(崇徳院より

 

冷やかな評価でもいい、期待しないで振り切っていこう、
呆れられてもいい、迷惑にならなければギリOK
推しなら笑って許してくれるであろう・・・

 

完全に開き直って推しの人間力に依存しています。

 

そこまで考えても思いついて作ってしまった
推しの心の広さに全幅の信頼を置いた
考えなしともいえる過去作品を紹介しましょう(大袈裟)


こちらはプレゼントした工作ものでは処女作(?) かもしれません。

バレンタインの手作り菓子です。

 

思いついて作った後、
「ファンの手作りは普通に食べない」
というネット情報に行き当たり泣いた作品です。
(情報の信ぴょう性はわかりませんが安全面を考えれば妥当でしょう)

 

切り絵で型紙を作った
手ぬぐい柄のシュガーパウダーデコです

 

主催者に預かってもらうつもりが直に師匠にお渡しすることになり
ド緊張して
「食べずに見るだけで大丈夫です」と発して笑ってもらえました。

 

「写真撮っておこう」

と面白がるフリをしてくださいました。
さすがです。成功です。
師匠がどう思おうと成功です。
(目が笑ってないかは余裕がなく未確認)

 

よく考えたら食べもせず廃棄するなら手間だし迷惑だったなと思います。
その時はそれくらい突っ走っていたのです。
昔の私、お茶目だぞ(逃避

 

お渡しはできたものの少し反省。
ならばやはり買った菓子が良いのだろうかと思った頃

「消えモノ(食べ物)には祝儀をつけるもの」

とか

「そういうのを空祝儀という」

なんてマクラを続けて聞きました。

 

「ケッ、祝儀が入ってねーじゃねーか!」

とか思われているかもしれないんだ・・・

 

 

じゃあ、ヤルかよ!○○師匠には持ってかないし!

 

 

と心に誓ったこともありました(懐い

 

真面目が起こす心理的事故です。今ならわかる。

でも実際のところ、貧乏ファンにはそこまでできません。
そもそも好意でするのに。
楽しみが楽しみでなくなる。と思いました。

祝儀を弾む人がたくさんいたのでしょう。
世話をしてくれる人がいるのでしょう。
それはやはり贔屓が贔屓たる所以であって
ご商売としても大事にするべきは御贔屓です。
(贔屓するってそういうことですものね)

 

贔屓にもなってないのに聞くことを過剰に真に受けて
まだ高座で言っていることだと笑って受け流せないから
顔が引きつっていたかもしれません。

ポリシーが構築されたのはこういうことがあったからかも。

 

そういえば、そういう話は最近聞かなくなりました。
コロナがあって、価値観が変わったのでしょうか。
クラウドファンディングやネット上でおひねりできるようになって
今時の演芸ファンスタイルが変化したのでしょうか。
表現が変わっただけかもしれません。

かつて話を聞かせてくれた御贔屓も最近お見かけしない方もいます。

聞いてもできないことだとあの頃は拗ねていましたが
お旦の世界も今どうなっているのか
演芸の旦那ご贔屓衆は知りたい世界でもあります。

 

推し師匠の芸歴20周年の時にも手作りの思い出があります。

身近な落語仲間やSNSで呼びかけて
有志でメッセージを集めて色紙を作りました。

思いつきに思いつきを重ねて
師匠と一緒に撮った写真がある方には写真も送ってもらって
切抜きで色紙のメッセージに加えました。

そういうことなら勇気を出して一緒に撮ってもらいます!という方もいて
嬉しい誤算が色紙を華やかにしてくれました。

20周年記念ツアーの千秋楽に郡山の会場で手渡しして
師匠を驚かせることができました。
想像を超えた数の方が賛同してくださり
この作品は師匠宛てのメッセージにあふれたものなので写真は載せませんが
手作り工作にしてはすごいものが出来たと思います。

 

そして25周年の今年。

体調を崩して思うように落語会に足を運ぶこともできず
20周年の頃から生活も変わりました。

全く出かけられないわけではないのが救いですが
まさかこんなことになるとは。

 

そんな状況ではあるものの
機会があった時のためにお祝いカードを作っていました。

ちょっと笑ってもらえそうなメッセージを写真に加えた
スマホアプリで作る程度のものですが
二度と取れない写真を使って楽しく作りました。

その程度の作り物でも、作るまでにずいぶん時間がかかってしまい
10月に行った25周年落語会には間に合いませんでした。

自分がしたいだけのことだし、今回は諦めよう
30周年はがんばろう(?) と気持ちを切り替えた頃、体の調子が良くなってきました。

作っていたカードに工夫したくなりました
カードの裏面に切り絵で宛名をいれて少し豪華にするアイデアです。
体調も落ち着いて、なにより気力があったのでやってみることにしました。

 

その気になると少しのめり込む方なので
思うように進まなくても気持ちをなだめながら製作しました。

ああしようこうしようとやっていると
元のアイデアから完成形が変化します。
そうなると楽しい。
学生時代に絵をかいていた時もそうでした。

作る楽しみや工夫する面白さを思い出しました。
苦労も楽しい。
仕事ではなかなか発揮する機会がなく工作する時間もとれず
面白くなかったんだと気づいたりしました。

好きなように描いて、工夫して、存分に遊んでできたカードの宛名は
小さいながらも達成感大!

 

カードに縁起物で入れた六瓢(無病息災)は
推し師匠の健康を願って入れたものですが
歳を取っても落語に出かけたい自分に向けた願いでもあります。
思いつきにしてはよくできました。

 

カードを入れる封筒は
この5年収集したチラシ画像をコラージュして作りました。
スーパーのチラシで折り紙したみたいに見えますが。

 

昔チラシで自分用に作ったチケットケースを思い出しました。
図画工作をプレゼントする前夜の作
某コンビニのチケットケースを使ったのでペラペラ
チープでダサめが笑える1枚を保管していました。
推しがダサいわけではありません。

 

推し活の図画工作が思いがけず再開できて
「金では勝てない」「比較的得意」はいいとして
「手軽にできる」ものでもなかったことに気づきました。

案外手間も気力もかかっているけど
それを忘れる楽しさだったのです。
落語を聴く楽しさとのめり込むのがちょっと似ています。

手作りプレゼントは結局のところ
作ったものを見てもらいたいこちらの勝手の品です。

はっきり「やめてくれ」と言われるまでは
思いついたタイミングで生み出したいと思います。

 

最後に贈り物(プレゼント・差し入れなど)の流儀を1つ伝授いたします。

それは

「お名前と連絡先をわかるようにして贈ること」

 

図々しいと思われたくない
見返りを求めているのではない
喜んでいただけるだけでいい

・・・そのお気持ちはよくわかります

 

ですが、演芸に限って言えば案外もったいないことなのです。

落語家さんもご商売ですから、人の名前や顔を覚えることは大切なことです。
一度にたくさんのいただきものをする落語会の様な場所では特に
主催者に預けても、手渡しをしても、熱心にお話できても
誰に何をもらったのか覚えておくことは不可能でしょう。

会場で預ける際には、係りの方が確認して
わかるように管理してくださる場合もありますが
口伝えは正しく伝わるかわかりません。
きちんと伝わらなければ、受け取ったお礼の気持ちも迷子になってしまいます。

 

これは聞いた話ですが
なにかお伝えしたいことが出来ても連絡もできないと
落語家さんの方でお困りになることもあるそうです。

 

大きな会場で人を楽しませる方でも変わらず
人とのご縁が財産のご商売。
遠慮は互いの損だと思って
贈る気持ちに「お名前と連絡先」を添えましょう。

流儀というより礼儀にするのがおすすめです。