国立劇場が閉場したまま工事が進まないことに苛立っている的な記事を読んで苛立つ。
役割として必要な記事なのだろうが、記事が薄い、というか数ヶ月同じ話の繰り返し。誰に頼まれて書いてるのか聞きたくなってしまう。
という個人的感情整理の記事です。アクセス稼がすのも嫌なのでリンクも貼りません。ご容赦ください。
なるほど、廃業とか言いふらしてる人がいるのか…ファンが離れてると考えるかその期間どう動くかで明暗わかれるな。お金使って応援できるところがないだけかもしれないし、ぼんやりしてると他の劇場もどんどん改修に入るし予算をへらしてるぞ。野ざらしは語彙が残念。事業は続いてる。
— 直子 (@Entsunagi705) 2024年3月24日
このつぶやきの後にもう一投したのだけれど、勢いづいていたのでこの部屋に移した。意見ではあるけれど、世の中に同意を訴えたいというより気が済まない自覚があるので部屋でぶつくさ言うことに。
散々言う動きだけ見えるのは説明不足に他ならない。国立劇場をホームにしてた実演者にマジのぶっちゃけを説明してあげたらいいんだよ。建設的な案が出るかもしれない。実演者から直で国の担当へ陳情された方がいいよね。マスコミ向きでは動かない劇場は法人だもの。
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昨日感情を下書きした。パッション文。
ーーーここからーーー
国立劇場が建設に至るまでの道のりは険しかった。歌舞伎座のようにいかない理由は明白。法人の種類が違う。国の事業に由来する趣旨。鑑賞教室のように文化教育の目的で公演の価格設定されてきた。
国の建物、とは言い切れない。これは経緯を調べたら微妙なことはわかるだろう。けれど何も言われないわけではないだろう。
国と伝統芸能団体の意向を汲みながら文化活動の支援も後継者育成もして普及活動も。想像するに制約とご意見番の山が見える。ご意見番が平成以後世代7割以上ならフットワークは軽いかもしれないが…お偉方がこう言ってる、あの看板役者がこう言ってると本人でない人からやいのやいの言われているイメージ(汗)PFI方式も良く機能すればよい仕組みかもしれないが、今のような資材高騰や人材不足の時期に重なって金額以外の運営範囲を募集側も参加側もよく認識して進まなければならない方式は豊かなイメージに持ち込みにくい上に参加の負荷が高すぎる。公的事業は儲からない、参加するだけで損がいく的なしくみが古い。
出資や事業に参加して盛り上げたくなるような宇宙事業みたいな要素が必要なのかもしれない。
あくまで国立劇場の事業に関心高めだけど建設資金の足しにしてくださいと資金をドンと寄付できない人間の妄想だ。
ーーーここまでーーー
感情的に書いているので真偽を調べず書いた。ただ、国と独立行政法人は同一ではないので、よく演者が口にする「国がやってる」は正確ではない。たとえば国立劇場は独立行政法人 日本芸術文化振興会が運営している。このことを知ってから、国立劇場や公共施設の運営については意識が変わった。芸能だけでなく、文化芸術は人の応援や支援、出資があって成立しているものだと思うから、国や地方自治体からどう支援を受けているのか関心がある。今カルチャーとして伸びているジャンルに対して、公共の劇場の在り方がもう時代に合っていないとも思える。
改めていえば国立劇場は個人的には至宝だ。劇場だけでなく、所蔵品や資料、育成事業、支援事業、普及事業と知る程に伝統芸能になくてはならない存在だと思っている。だからこそ、新しい国立劇場を楽しみにしているし、できるまでの間の国立劇場をホームとしてきた歌舞伎、文楽、演芸の他、舞踊や民俗芸能で国立劇場の舞台に立つことを一つの目標としてきた人達の活動を少しでも目にできたらと思う。
そしてネット記事に出るような事態は気にならないとは言わない。どうなるのかはとても気になる。建て直しの構想が出た時期から閉場までで既に世の中全体を覆う想定外の事態がいくつかあった。感染症拡大も、物価高騰も人材不足も、高齢化も、戦争も。直接的に関係ないけれど、担当省庁が京都に移ったことも地味に気になる。
閉場後に動きが無く、入札も不調に終わったままだからということで記者会見を開いた実演者があったそうだ。なんとなく内容に想像がついて見ていない。というか、そんなやりかたを見たくない。そのやり方で上手くいくと考えていることが心配だ。
現状劇場はまだあるのだから再開したらどうか、という話を聞く。劇場が開いていたころの幻想を持ち続けているらしい。劇場が閉まって公演がないということは、中で働く人はいないということなのだ。舞台を守る人達も、客を迎えてもてなす人たちも、生きていくために別の場所へ行ってしまったのだ。別の会場での公演を作り、運営する人達が引き続き公演を守っている。国立だから、公共の場だから閉まっている間も雇用が保障されると思っている人がいるのかもしれない。
2024年から2025年は建て替えや改修工事で一度閉まる劇場もいくつかある。地方自治体で運営する劇場も予算が十分に用意できず見直しをするという記事も見かけた。同じ劇場といっても運営状況は全く違うだろう。改修するにしても立て直すにしても民間事業者と国や自治体では目的も支援の幅も違い過ぎる。国立だからきちんとやってあたりまえだと考えるのは勝手だが、それは高度成長期の人口と経済の活力あふれる時代だったから成立したもう当たり前ではない常識なのではないかと思う。人口も減る、担い手も減る、劇場は維持してほしいと言われる、場所は必要だ。けれど予算は厳しい。
以前自分が暮らす町で映画の上映会を開こうと利用申し込みに出掛けると、有料イベントはダメだとか団体でなくては申込できないとか建物ごと条件がことこまやかにあった。税収で運営されている建物だから利用料がかからなかったり安かったりするからなのかもしれないが、有料使用なら使用料をきちんともらうなどして運営収支を改善すればいいのにと思う。条件がつけば使われる機会が限定される。税金の使い方はうるさ方が多いからか、運営に関わるルールも過剰に感じる。形骸化した良くない慣習やルールは多分にあるのだろうと思うが、業務過剰で整理すらできないのかもしれない。
伝統は積み上げて受け継いできた誇りがある。その勢いで言うだけ言っても今は響かない。どうしたら良い方向へ進むのだろう、協力は惜しまない、支援者を探そう、新しいナショナルシアターをみんなで作り上げよう、そういう考えの上で、省庁担当者や国立劇場のトップや劇場運営をしている経営者の話を聞いて実演者ができる呼びかけをしてくれるのだったらよかった。少なくとも一般人よりも人脈を辿る術があると思うのは妄想だろうか。ネット記事の見出しにはその気配がなかったので、違ったと思っている。
実演者(演者)は舞台以外の場で自分が持つ力の使い方を知らないのかもしれない。
実力者として後輩を叱咤激励するのは悪くないと思うが、公演を実施する劇場を管理運営している、つまり自分の興行の支援をしている相手にモノを申すのに公共の場でダメ出し、これはやる気が削がれることに違いない。伝統は格式がある分不利なのだ。気をつけないとそれだけで威圧感を与える。政治非難をしているSNS発言みたいな調子では見栄にもならない。うっとりさせる演出でその気にさせる記者会見ならみたいけれど。
ああ、言いたいこと書いちゃってる。まあいいか。
そんなことを考えていて思い浮かんだのは中村仲蔵。仲蔵というか「芝居の座頭」だ。
現代は恐らく、演者は演者としてプロ。江戸時代の芝居小屋はどうだったのだろう。千両役者と呼ばれる存在はいたとして、興行成績や小屋の運営は表方の番頭の領域だったのだろうか。座頭は経営状態は知らなかったのだろうか。
現在そこまで携わる演者がいるかどうか知らないが、もし自分だったら、少なくとも経営状況や事情がわからないけれど、なんとかしてほしいと思うことがあったら、表に立つ人間として状況把握をして主要な人間と話をしたいと思う。それが叶わないなら、まず知っている人を探して話を聞く。表面的な情報や噂話は信用できない。少しでも知りたい情報に近い人間を探す。「○○の関係者」なんて情報はどうでもいい。噂を助長させたい人間だと認識する。実演者、演者、顔が効く存在なら、芸能の先を考えるなら、話題作りをするにしろ、良い提案をするために動き、心から応援したいリーダーシップを取ってほしい。
仮に噂通り国立劇場が廃業、つまり建て直しされないとしたら伝統芸能のために建てられた劇場はなくなるが、公演が無くなってしまうことはないだろう。同じ法人の中だけでも大阪の国立文楽劇場、東京千駄木の国立能楽堂、東京初台の新国立劇場、沖縄の国立劇場おきなわがある。慣れた劇場が無くなり、国立の劇場がなくなるわけではない。
感情的に書いてしまったが、きっと慎重に準備して動いている人がいるだろうと心から願う。結局表面的な記事に気分を振り回されて書いてみたが、ここまで書いてようやくあの場所に持つ思い出ごと否定されている気持ちになって不快なんだと気づいた。
とにかく辛抱強く新しい国立劇場を待つ。待ちわびている間、できることをしよう。
追記:国立演芸場 開場時の経緯 読み物
感情的になった理由の1つを思い出した。国立劇場の創設時期と国立演芸場の開場経緯に関しての資料を閉場前にいくつか読んで知っていたことがあったからだ。
その中のひとつを載せて置く。
文化庁月報(第127号)国立劇場演芸場(鹿海信也)
1979年(昭和54年)4月25日 文化庁(発行 ぎょうせい)
(文化庁 文化政策アーカイブ より)
この資料は、以前読んだことがある別の資料を探していた時に見つけたものだ。
国立演芸場を一から作る作業は慣れないことの連続、ふざけていられない真面目な話し合いの連続だったに違いない。国立演芸場があってあたりまえ、国立劇場があって当然の今想像しようと思っても難しい。けれども、閉場までのカウントダウンの間に、国立劇場創立時の苦労や、国立演芸場を建てるまでの証言は国立劇場が誰でも見られるように公開してくれている。
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト|独立行政法人日本芸術文化振興会
あくまで個人的な意見でいえば、伝統の良くない所は、これまであったものは残すのが当たり前、残す役割は自分が動くのではなく御上がやってあたりまえ、という立場でせり出してモノを言いがちなところだ。伝承と伝統は違うと言葉ではいうけれど、継承を盾にする人間は信用できない。当たり前というのは有難しを忘れているということ。そもそも理由もなく見直しや建て直しなんて手間も金もかかることはしない。長く続いてきたのだから、という驕りにはつい反応してしまう。
残念ながら期待する現代のスポンサーは将軍のごとき芸能保護もしなければ無尽蔵に伝統文化にお金を出せるわけでもない。この数年を思えば難しかっただろうが、人任せではなかったのか?という疑問を持っている。その疑問は、上に載せた資料を読み、危機を感じて動いた先人を知っていたからだ。
昭和と令和は右肩上がりの物差しでは雲泥の差があり、4月からは物価高騰に加えて2024年問題、働き方改革で物流と建築は変わらざるを得なくなる。カネだけでなく時間もより多く必要になる。入札が不調のままで数か月留まっていることは、スピードに慣れた私たちにはひどくのろまに感じられるだろう。経済状況で建設が頓挫しまくっている隣国よりはましだと思うのだが。この状況の本質をじっと堪えて見据えて当事者にならなければ、伝統も劇場も、想いの逆に衰退するだろう。まるで外野のように意見を述べている場合ではない。