直子の部屋

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また100年目、志ん生の娘 美津子さんを妄想してみた

ネットで志ん生の遺産トラブルらしきニュースの見出しを見かけた。
アクセス数に加担したくなく数日開かないようにしていたが、どうしても違和感があって目にする度に苛立つので見てみる。ああ、やっぱ文春か。偏見は良くないが、煽ってくる見出しを見る度に文芸春秋を始めた菊池寛にこの手の読み物を広めたかったのかと問いたくなる。

内容は昨年亡くなった古今亭志ん生の長女、美濃部美津子さんの遺産相続について。子供がいなかった美津子さんの遺産は、遺言に特別な指定がなければ法廷相続人は姪、甥になるのだが、そうではなかった。美津子さんの遺産内容に志ん生師匠の権利関連のものが含まれており、相続できるはずだった人達が承認できないため相続トラブルになっている、ということらしい。遺言で相続人になっている人物は次回のお楽しみ、という臭わせ記事だ。

この先は個人の意見・憶測内容なので事実を知らない外野として想像を書いてみる。

美濃部美津子さんは関東大震災の4か月後、1924年1月に生まれた。志ん生師匠赤貧時代で早くから働くが、弟の世話の為に退職。母と共に戦前から家庭を守る役を担った。戦中から戦後志ん生師匠は満州で行方不明になっていた。
1954年ニッポン放送に入社。ニッポン放送専属となった志ん生の音源の編集に携わった後1956年退社、志ん生の付き人となる。
1973年9月志ん生没後は兄弟家族と同居。販売の仕事を経て、晩年は父・志ん生や弟・十代目馬生、三代目志ん朝の権利関連の管理に携わる。父・弟共に噺家だった家族との暮らしをエッセイとして執筆している。
1968年に二代目三遊亭圓歌の息子と結婚しているが離婚。子供はいなかった。
2023年8月、99 歳で他界。 (参考:美濃部美津子 - Wikipedia

大正生まれで99歳。昨年は9月に関東大震災100年の年で震災直後の様子と志ん生師匠の高座映像がカラー化され放映された。高精細の4K映像を上映する公開収録イベント「没後50年 カラーでよみがえる古今亭志ん生」は9月1日に川口市SKIPシティで行われた。美津子さんは2023年8月26日に他界されているので、放送は見ずに亡くなられたということになる。志ん生全盛期の高座の映像を人工知能(AI)でカラー化しているということだったので、カラー化の準備段階でも携わられたとも考えられる。ご自身で対応されたのだろうか。それともご高齢で親類か仕事に関しての協力者に委ねたのだろうか。

【カラーで蘇(よみがえ)る古今亭志ん生】最新のAIを用いて「落語の神様」をカラー化 | NHK - YouTube

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文春の取材に応じた志ん生師匠の曾孫、小駒さんの発言はこうだった。

「お恥ずかしい話ですが、私たち美濃部家は困り果てています。この際、すべてお話ししようと決めました。私たちが事態を把握したのは、美津子さんが亡くなってからのことなのです」

昨年10月ごろ遺言執行者の行政書士が現れ、遺言から遺産は第三者へ遺贈されることになったと告げられる。その内容は預貯金の他、志ん生師匠の著作物の権利が含まれていた、というわけだ。

次回のお楽しみとされた予告には、遺言を作成した行政書士と相続人について暴く、つまり叩こうということらしい。今日の予定なので記事はもう出ているのかもしれないが。

こういっては大変失礼ながら、志ん生師匠が他界して50年を越えている。美津子さんはほぼ100歳。志ん生師匠の著作権管理について、つまり相続について一度も話題になっていないならそれは自業自得、親類の怠慢と思われても仕方がないと感じる。小駒さんは20代なので、そこまで意識していないのも無理はないが、少なくとも志ん生師匠が他界した段階で確認があってしかるべきかと思う。そこで美津子さんが管理を担った。父も弟のお二人も芸人ということで細かいことを徹底的にこだわるか、誰かに丸投げしてお願いするかのどちらかが想像される。戦時中の話からして母親役をしていそうなので、しっかりされていてまかせきりになった可能性もある。兄弟遺族が触れられない話題だった可能性もある。ただ、十代目馬生師匠が他界したのが1982年9月、志ん朝師匠が他界したのが2001年10月。家族で大きな芸人が他界する機会が複数あった親類の中に、著作権について引き継ぐことを考えて美津子さんに話をしたり手伝ったりした人がいなかったとしたら、または美津子さんご本人がどうしていけばよいか考えて親類に伝えずに遺言を作成したとしたら、それは美津子さんが必要だと感じて作成したもので、行使可能な権利を使っただけだ。
ただし、著名過ぎる一家ではあるので、作成の経緯に怪しい所があるなら作成者を信頼できるかどうかというのも一理ある。

芸能一家というと聞こえはいいが、表に立つ側も裏で支える側も楽ではない。表に立つ側と裏で面倒を担当する側が対立することもあるだろう。役割が違うのだから当然だ。噺家でも俳優業でも著名な人間だいうだけで、当人も近親者も騙されたりすり寄られたりはありうる。それが何人もいる一家となれば狙われてもおかしくない。一般人だって死んだ後に金を貸していたという人間が出てくるものだ。芸能人が盗まれたり騙されたりするのは近親者が関連することも多い。メジャー大谷の通訳水原一平氏が解雇されたニュースに驚いたばかりだ。

美津子さんの相続は記事ではトラブルということになっているが、死後のトラブルを防ぎたいと考えて用意したものと考がえても何の不思議もない。

志ん生師匠の肖像や高座の著作について、先々も親類で争うことになれば音源や映像が外に出なくなったり忘れられてしまうこともあり得る。管理ができ信頼して託せる相手が親類ではなく第三者だった、それをしてもらうためには託すだけのギャラか手数料替わりに遺産ごと渡すことと考えたのではないだろうか。とはいえ女性なので、年齢に関わらず入れ込んだ相手がいたといえなくもないが(笑)

自分の経験でも明治や大正時代を調べていても、一人の人間が考えることは子や孫親類でも、後輩にも思い通りには伝わらないことは多い。だから聞き難いことでも生きているうちに聞くしかない。会話しても伝わらないことだってあるのだ。それこそ予定通りに死ぬ人などいない。著作に関して遺産となる法もなかったかもしれないが、親類に渡らなかったといえば三遊亭圓朝が真っ先に思い浮かぶ。録音も放送もなかった時代はむしろさっぱりしたものだったのだろうか。

志ん生師匠の権利が奪われて親類が悲痛な激白をしているとしたら、真っ先に十代目馬生と古今亭志ん朝の権利関係を確認して相続の話し合いをした方がいいと思う。この先起こりうるトラブルを防ぐために。

そして「志ん生という落語界のレジェンドの沽券にかかわる事態です」と発言した落語関係者がいう沽券をぜひ説明してもらいたいところだ。昭和の名人の襲名で使われた名前がどう預かられ引き継がれたか一般人には到底わからないし、どう拗れてきたのかも知らないが、ちょっと本を読んで噂を耳にしただけで沽券にかかわった事態はありそうに思える。

もしかしたらここで会ったが百年目、美津子さんなりの百年目のしかけかもしれない。
記事の通り悲痛な事態で、志ん生師匠の音源や写真がこの先見られなくなってしまう可能性があるとしたら残念だけれど、関東大震災の直後に生まれ生き抜いてきた志ん生師匠の娘さんがすることだ、個人的には思いがわかって引き継がれていくなら良いと思う。

 

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