直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

言葉の影響力

人の死について感じていることを

このブログで書こうと思うにあたって

どう書いたら伝えたいことが表現できるだろう

 

そう思っていた矢先に

日本中が驚く事件で安倍元総理が亡くなられた。

 

今日起こったことについては

気持ちの整理もつかないし、世の中の情報も整理がついていない。

なにか言う立場でもない。ただ残念。

 

ただ世の中への影響力が大きい人で、選挙中に起こった事件ということもあって

「民主主義の根幹を揺るがす」「蛮行」という言葉が

なぜかコメントを求められている政治家から一般の人までが揃って口にしているのが

違和感を覚えて(私自身の)気持ちが悪い。

撃たれた瞬間の映像が即座に流れ、銃弾を受けた箇所も撃った犯人の素性も

次々に情報として流れてくる。

 

SNSにもテレビにもひたすら情報が流れていたようだ。

自分で止めない限り受動喫煙状態で情報が感情と混ざっていく。

どこかイベントじみていて

今時は固唾を呑んで見守るようなことはないんだな、としみじみ思う。

 

結果的に亡くなられたのが残念だ。

総理時代のインスタグラムは良く見ていた。

政治家としての主張だけでない一面が出ていて親近感が感じられた。

一度体調で退いた首相をもう一度やって

恥ずかしげもなく美しい国日本を目指していたことも

日本を動かす仕事をしながらオリンピックも延期になってコロナにも見舞われて

嫌われる役回りも受け止めつつ務められた。

真似できないという意味で素直に応援する気持ちがあるし

首相を務められる方へは敬意を表する。

 

犯人という人側の殺意のことは気になる。

本人に興味があるというより

どんな経緯でそこに至ったのか。

ニュースを見かけると気になるのはいつもそこだ。

人は必ず自分が見ている世界で解釈して理由付けするから。

 

今回の場合は政治的信条は関係ないという。

極論、安倍政権の頃にお金で損したとか、人生上手く行かなかったと

本人が感じただけで首相だった人間を恨むこともありえる。

民主主義の根幹はまったく関係ないことだってある。

誰かが囁いたかもしれない。

何を望んだのかわからないけど、たぶんその通りにはならない。

なったとして刹那の出来事。

だれも幸せにならないのが残念だ。

 

偶然今日だから元総理の死だけれど

身近な人の死でも人は必ず自分が見ている世界で解釈する。

 

例えば父が亡くなった時は家族全員が

「自分があんなことをした、言ったからじゃないか」と思っていた。

それは家族一人一人と話して気づいた。

兄弟は特に身近な家族の死が最初で、最初が最も頼っていた大黒柱だったから

受け止めきれなくてそう感じていた。

 

自分が大好きな人や存在がいなくなった時も、折り合いをつけるために

自分を責めたり、他人のせいにする。

無意識に自分を守るためにしていることだけど、

これは結果的に今日の犯人に至るケースがある。

自分事と他人事、世の中の情勢や周囲との関係性、感情をないまぜにして

結論を出す環境があるとこれが可能になる。

 

思う様にいかない、上手く行かないことの正当な理由を探し始めると

ネガティブな情報が集中して目に入るようになる。

負のシンクロニシティもあるんじゃないだろうか。

この世の道理にはそういう仕組みがあると思う。

どこかで自分の意識で切替える行動に出ないと引きずり込まれる仕組み。

人を呪わば穴二つ、ってやつだ。

 

議論は苦手だ。よく傷つく。でも、本音を伝えることは大事だ。

ただ悪意があると受け止める方がとても負担が大きい。

真面目な人ほど負担を見ないようにして受け止めてしまう。

真正面から受け止めて病んでしまう。

 

言葉は特に文字で目に入る。

視覚は感覚の中でも一番影響力が大きい。

もし脳内で音声再生されたら聴覚も支配されてしまう。

感覚の一番手と二番手を押さえられたら

神の声か悪魔の声が聞こえてしまうかもしれない。

もし検索能力や工作能力が高かったら

材料調達して武器をこっそり作ることも不可能ではない。

大きな宗教団体なんて不要なのだ。

 

同僚や友人、家族との対話をやめて

匿名で好き勝手に言論じみた思い遣りに欠ける言葉を書き連ねる情報源から

好みの意見を拾っていれば

自分でも知らないうちに

道から逸れて犯行にいたる可能性がある。

 

逆もある。

ある時あまりにも真正面から人の言葉に傷ついている私を見て

躱し方を覚えろと教えてくれた人がいる。

教えられるまで正面から受ける以外の方法があることにも気づかなかった。

私の場合はずっと自分に非があるのではないか?と自分を責めて

悪循環を作り出していた。

 

 

他の逆もある。

これは良い影響を与える言葉の話だ。

あまりに自分が嫌いで自分ではない誰かになりたかった頃

救いになるような本に出会って、それを書いていた著者のイベントに出かけた。

著者ご本人の言葉は本で読んだ時と変わらず

物事の捉え方を変えてくれる程の影響力があった。

言葉に触れる度に気持ちが安定する時間が増えた。

そこから身近な人の思い遣りに気づけないでいたこともわかり

悪循環の流れが変わった。

 

なにも著名な人の言葉だから良くなったわけではない。

触れる人、触れる言葉、自分が発する言葉、敢えて出さない気持ち

出し方を選ぶ言葉や意識で見えるものは変わる。

 

言葉を武器にする人ほど

ぶつけるのか差し出すのか

公衆の面前でやるのか、二人きりの時に静かに伝えるのか

自分の言葉の影響力をなめずに選ぶのが大切なのではないだろうか。

 

今時の状況からいって

暑くてコロナ陽性も増えてガマンしなきゃが続いていて

理性が効かなくなる瞬間は間違いなく増えている。

他人の感情どころか自分の感情も見失いやすい。

案外先輩世代も驚く言動を見かける。

 

無意識に過ごしていると人は不快な時間を減らすことは難しいらしい。

まずは不快な言葉から離れて

安心させてくれる人と言葉に気持ちを向ける

見るもの聞くものを選ぶ

 

一番は

自分の心根を聞いてあげるために

情報から離れる時間を作ろう。

 

無理をしないとは道理にないことをしない選択。

良い影響を受ける環境に移ったり

安全な場所や時間が増えれば

知らず周囲の人へ伝播する良い影響力に変わる。

 

悲しい事件を見る度

見るもの聞くものは選べと改めて言われている気がする。

この世界に今生きている人全員

発する言葉に影響力がある。