直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

世間に訴えて誰が助かるのか

今週から生活環境が大きく変わって時間の使い方を整理している。
ブログもやっぱりさぼりがち。そして書く気になるのはどうしてもネガティブな話題になる。自分の疲れが影響していることも加味しつつ書いてみます。

時間の使い方を整理するために、かなりHack?というのか、時間の使い方を細かく記録しています。おかげで時間の使い方も変わり、SNSを眺める時間もかなり減りました。

そんなところにとある新聞社のニュース通知メール。有名な俳優さんの驚くニュースでついSNSを開く。インパクト重視の見出しに違いないのにわからない不快を安心させるためにしてしまう行動。状況がわかって詮索せずにスマホを置く。

数時間経過するとSNS上ではもはやシンプルな情報が見えない。詮索や噂があたかも事実のように語られている。こうなるともうトレンドキーワードとして人の目に触れるようになっている仕組みだから、不快になったら自分でゲームを降りるしかない。SNSから距離を置く、一択だ。

ニュースに驚いてからSNSを見る前に読んだ本で知った講談『蝿は金冠を選ばず』
今も昔も噂の扱い方には意識と知識が大事だったんだと教えてくれた。そしてしっくりくる。気にするなと言われても困るものもクサイものにたかる・・・と聞くとやめたくなる。情報は流動的なものだけ摂取しないことが大切。

nezu3344.com

 

最近欠かさず見ている大河ドラマで知った戦国時代の心理戦。武田信玄は心理戦が得意で、若き徳川家康公も三方ヶ原の戦いの大敗に学んだとか。当時「噂」は心理戦の重要な一手として使われたそうだ。出世のために邪魔なやつを蹴落とす手段としても使われる。何百年経っても変わらない。今とは速度も違うのだろうが、野次馬が一気呵成に増幅する所が恐ろしい。遠くで見ているつもりでも心理的にはとても嫌な気持ちになる。その感情で何か言いたくなる。でも言えば思うつぼ。蝿の一員に仲間入りだ。ネガティブなニュースに何か言いたくなると、一旦書いてみて、下書きに残して寝かせてみたりすることも多いけれど、今日は遠回しに出した。何も言わないのも気持ち悪かったから。

 

最近、芸能関係のハラスメント問題とLGBT法案の立法に関係したニュースを何度か見かけた。関係者同士で解決できないから立法に訴えることのなるのはわかるのだけれど、立法のためにトラウマ的経験をマスコミを通して世間に訴える方法は、誰がそれで解決すると言っているのだろうか。「世の中の人に知ってもらえればたくさんの人のためになるから、君が行動することが必要だ」と口説く人間は、当事者を理解していないとしか思えない。

最近の話題だと、海外メディアに証言した人は「相当勇気があるとは思うが大丈夫か?」と思っていたら事が動き始めたところで休むことにしたようだ。番組にした人はどういう舵を切って当事者を救おうとしたのだろうか。利用したのではないのか。世間を巻き込むということは、あらぬ噂まみれになることが前提で、守りきると決めた味方が居たとしても当事者が不安定になったら危ない。経験したこともないトラウマを反芻する日々が続き、日本中、海外でもあることないこと知らない人から噂され、謝罪や賠償金をもらったとしても、自分が当事者だったとして、まず耐えられないと思う。

個人的に受け容れられる唯一の解決策は、どんなに怖くても誰かに助けてもらいながらも当事者同士で確認することだけだ。なぜ世間を介入させて自分を更に傷つけなくてはならないのか理解に苦しむ。

性的趣向については特殊な経験もないので、理解してもらえない立場の苦しみを知らないだけかもしれないけれど、常識を突き付けてくる大人に違和感しかなかった分、性的マイノリティの人達が立てられてしまう噂には当事者でもないのに悲しさがある。あらぬ噂を立てている輩の発言を見て、せめて当事者を想って傷つくことしかできないくやしさがある。結局噂を立てる人間は自分が普通で正常で常識的に振る舞えていると思っているのだろうか。自分を隠すために別の人間の噂を立ててしまうのだろうか。その噂を立ててスッキリするのだろうか。

自分の問題に向き合えないから誰かを貶めてバランスを取ろうとしているなら、負のスパイラルでしかない。悪口でないにしろ、噂をつぶやくのを止めるのが負のスパイラルを止める唯一の方法で戦略だ。そして自分のトラウマに向き合うには、何も知らない他人の噂話から離れて過ごすこと、自分を助ける一番の方法を自分で見つけ出すこと、そしていきなり実行できないとしても繰り返し自分と作戦を考える。大したことでなくてもできたことを認めること。自分を助けられるのは自分だ。周りが味方してくれることに越したことはないけれど、他人が自分のすべてを理解することは稀だ。自分を助けられる一番の方法を見つけて実行すると、思いがけず相手を助けられることもある。ともかくも、世間を間に挟む手法はかなり高度な予測とメンタルが必要だろう。


人間は頑張って社会性を確立してきた動物だ、ということを忘れずに。法律は社会性を保つためにあるけれど、命の危機を守るために不安を感じ、生き残るためには感情を爆発させて他人を威嚇することもある。つい話が逸れてしまったけれど、無意識に発信される噂はそれぐらい動物的で幼稚さを含むものだと思う。不快に感じたら距離感を置かないと、無駄に不愉快になる。

噂を立ててあることないこと発信する人達は悪意はないのだろうけれど、個人的には広い意味でのハラスメントを垂れ流しているように見える。どんなハラスメントかと聞かれてもわからないけれど、見ていて不快。ニュースで知ることも、突然起こることだから驚いて反応するのはいたしかたないけれど、もう少し情報を整理してから出せないものか。ぜんぜん情報で助かっている気がしない。

 

追記

書き終わってすぐ、ベテラン芸能レポーター談の記事を読んだ。距離を置いている分、世間に訴えただけの結果も出ていると見ている人もいるようだ。過去に訴え出た人、高裁まで戦った人もいたのに当時の忖度が悔やまれるとあった。

“芸能関係のハラスメント問題とLGBT法案の立法に関係したニュース”と混ぜて挙げた理由は、世間の人達が「性加害の罪」と「性的マイノリティへの偏見」を分けていないことへの不快も大きかったなと気がついた。ハラスメントを感じるのは浅い情報でトレンドにのって集団で無意識にニュースに色付けしていることへの不安と不快。流されないよう錨を下ろそう。