直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

落語に求めているものってなんだろ?

ネットで手軽に知る情報が増えて、会話が文字で成立している世界が広がってきた。
噺は文字通り口で話す芸だと思うし、仕草や表情は必須だと思う。


落語会後の熱冷めやらぬうちにSNSに感想つぶやくけど、それは切り取りに間違いない。楽しかった!を聞いてほしいけれど、残念ながら文字だけでは無理。聴いている間の心の叫びを短文に編集している感情的な行動だけど、そこにはネット上に出す出さないの判断がある。


東京に来てからずっと思っていることがあって、
表情豊かな人を見る機会がとても限られていて、無言で処理するんだなぁということ。
正確に言うと怒りの表情は目線や何かで出しているのかな、という感じ。

実際に話す機会があれば良い表情をされるんだな、と人柄がわかることもあるけれど、仕事もデスクワーク、食事やお酒を挟む機会もなく、効率的に進めるものとなると
人となりがよくわからないままの人間関係が続く。不安が増えないわけがない。


私は元から表情は乏しかった。心の内を良くも悪くも表に出しにくい。表情だけでなく言葉も同様。自分の言葉が誤解されると感じたり、急に怒られたり避けられたりした「気がした」ことも大きい。自分が変わっているのはかなり小さいころから感じて出さないようにしたものも多い。

結果的に自分を抑えたり急に爆発させたり不安定になって、社会で通用する動きを身に着けた結果、期待に応えようと無理をする癖がついて体を壊した。

自覚して乗り越えた経験が落語を面白くしてくれた。
初めて生で聴いて面白いな!と思った時よりもハマって通うようになった理由。
しんどい経験で共感度が爆上がりしてた。
相手への期待を良い意味で諦めたのがよかったのかもしれない。

推しの噺家さんを「ウソばっかり言ってる」とうれしそうに話す御贔屓やファンを見てすごく良い世界だと思った。
ウソついてる人を楽しんでいる。ウソに怒るどころか面白がってる。高座に上がっている間ウソを楽しげに話す人とそれを楽しげに聴いて笑う客。
その場では需要と供給が成立している。なんなら高座で普段口に出さずに心にしまっていることを代弁してくれたりする。リアルに噺す分、信じてしまう人がいて心配になることはあるけれど、通ううちにわかるだろう、好みでなければ離れるだろう。


表情に乏しいと思っていたのを、実はそうでない、むしろ逆と教えてくれた人たちがいたことも大きかった。たった一人味方でいてくれる人を感じるだけで世界は変わる。
社会に対しての協調性より自分が欲しいことへの選択なんだよね。

 

話は変わって。

最近好きな落語にもパワハラの話題やら、襲名問題なんかで落語の世界も現代社会に沿ったものに、なんていう言葉が飛び交っている。
思うこともいろいろあって言葉にした意見もあるんだけど
落語に何を期待しているんだろう、と思う。

好きな師匠の落語で笑ってたい。笑っている時間を増やしたい。

最初はそんなシンプルで素直な気持ちで夢中だった。

様子がわかってくると噺そのものの面白さや時代背景や落語界の変遷や事件にも関心を持ってどんどん知る面白さが増えた。
学生時代に浮世絵や民俗学を専攻していたことも手伝って
まだまだ面白さは色褪せない。
今は落語を取り囲むいろんな場所に仲間が増えた。老若男女本当に多彩。
ひとりで楽しめる趣味だけど、それがとてつもなく大きい。

ハラスメントや襲名に関わる社会的地位や名声に関係する問題という話も
落語界かどうかに関わらずあるもの。
生まれてこのかたの何十年かでタブーになったことって
相手に期待する完璧さを感じるし、禁止事項増やし過ぎて軟になる流れも感じる。
実際辛かった人がいて、それを救うために作られたものだとは思うけれど、
厳格になれば禁止されたことやグレーなことは隠れてするようになるのが人。
昔のテレビで見たセクシーなお姉さんより最近のアニメやゲームなのか生身でない分好きなだけ強調した体や衣装の広告が縦横無尽に貼り出されている今時の方がオバサンは怖い。それともそこはうまく判断や感覚ができるようになっているのだろうか。

 

落語は物語。そして人が語る芸能。人として間違ってることが出てこないと物語にならない。正しいことだけ話すなら噺家には恐らくハマらない。お金も出さない。
そんな噺家つまらな過ぎて寄席なんか絶対いかない。面白味ない芸能になってすぐなくなると思う(個人的な意見です)

世の中が求めるモラルや常識から外れている物語だから涙も流れるし笑いも起こると思うのだけれど。個人的には落語の間に聞くことは歴史かもしれないけどすべて冗談でウソかもしれない、と思って楽しんでいる。だから好みの芸を贔屓にするのであって、隙のない正しい人間なんてつまらない。芸人とは逆の人ではないの?どうしても必要な仕事でなければ話は聞きたくない、好んで話しかけないタイプしかイメージできない。

 

ハラスメントや襲名の問題も、こちらの意見や希望があるにしろ、当事者が向き合うまではどうにもできない。もちろん発信することが話題を生んで起爆剤になって話が進むのかもしれない。悪しき慣習がなくなるのは良いこと。でも…一般人なら親子関係のハラスメントはSNS発信して解決する方法が最良ではない、と思うと師弟関係のハラスメントを相談する方法としてSNSを選択するのは好みではない。相談した相手もあったかもしれないし、間違ってはいないと思いつつ、落語と落語界に何を求めているのだろう?と思う。家族関係で辛い問題は向き合わなくてはならない相手が近すぎて頑なに見えてとてつもなく面倒な問題だから。親戚には相談できなかったのかな。無理だったのかな。だとしたら師匠だけでなく親戚全員に見捨てられたと思ってしまったのかな。

ハラスメントの件は前にも書いた通り他のやり方して欲しかった。
世間に訴える前に破門話のついでに暴れて欲しかった。師匠に直接。

無理だったろうことは承知で思う。でもあの方法で良い方向に進んでいるらしい。
よかった。でも当人の動画を見ることはない。円楽師匠の錦糸町並みに笑えるネタになって落語界でみんながマクラにできるようになるとこまで行って欲しい。これは個人的期待。

昭和の名人を基準に令和の襲名を判断していくというのなら、名人になった後の大名跡ではなく、襲名前のその噺家がどういう人でどういう実力だったのかから確認してほしい。大きな名前はプレッシャーかけて業界背負わせるためにあるなら合格基準でも決めればいいと思うし、噺家さん達当事者が想う名前の大切さはそこにないと思う。これは想像なので信憑性はないけど。

あえてハラスメントと襲名問題とまぜこぜで書いた。出てきた順に書くと文調もリズムもめちゃくちゃだけど、頭の中がこんな感じだから仕方ない。

 

人のすることだから、酷いことも起こることがあるだろうけど
落語に求めていることは、つまらない日を楽しく笑い飛ばしてくれること。

ぐるぐる考えて自分が落語に、噺家さんに求めていることとか、
心配していることとか、書いたらまずいのかなぁと思ていることを確認できた。