直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

おつきあいでツキを変える

去年は正直しんどいが多い年だった。

とはいえ病に陥らなかったという意味では乗り切った感もあり
この数年の生活は落語をかましていたからなんとかなっているだけで
落語を除いたら病に陥って復帰に十年超えをまたやるところだったと思う。

この「落語」を大事にしていること、頼りにしていること、好きなものに置き換えれば、これがあったから乗り切った、そんな人は他にもいるのではないだろうか。

拠りどころがあるかないか。
拠りどころを大事に過ごせているか
そこに気づくのに数十年かかった。
気づいても実践できない時期はまだ多い。

今年は生まれて半世紀を迎える。大きな折り返し地点なのに諸々がずっと幼い。
そのうちやらなくては、と思っていたのにズルズル後回しになっていた自分らしい暮らし方も全然形を成さない。
どんどん試して形にしていかないと、確実に落語に通うどころではないままおばあさんになる見込みだ。

落語に通えるおばあさんになるには、歌舞伎や文楽で贔屓として顔を覚えらる程の出資は必要ないだろうけれども、遊びに使える時間とお金は無理なく持ててなきゃできない。贔屓になろうなんてなればもっとだね。
この先さらに年取ってからその暮らしをするには、転職三昧して来た性格と働き方ではかなり無理があるのだ。
そもそも同世代で退職金で老後遊んで暮らせる人もいないと思うけど。

 

自分らしい暮らし方を形にしようと思ったからか、お金の使い方がこの1年半程で変わった実感がある。

コロナ禍で仕事で付き合ってきた人達とした話が大きかった。
どこでお金を使うか意識的に決めるようになった。買い物をする相手と内容が変わってきた。どこに感謝の気持ちとお金を落としたいのかがハッキリしてきた。
値段の事より自分の感覚や感情に素直になることが良さそう。ストレスからくる浪費とは別物だと思う。

年末年始は入り用の買い物が増えたし、新年のご挨拶に用意したものもあった。
年賀状や挨拶回りの習慣もなく、元から人づきあい苦手。自分が気にしなければ歳神様より自分の体力温存を重視した年も最近は多かったので慣習重視ではないけれど、大事にしたいおつきあいは続いてほしい。良い循環が作れたらいいと思った。

ご挨拶にささやかなものでも用意するのは本来好きな作業なのだけれど、以前は出費や手間を惜しんだことも多かった。体を壊したのが先か、金を渋ったのが先かは覚えていないけど、とにかく調和できていなかった。
行きたい場所へ以降にも疲れてしまっている、出費が痛い、タイミングが合わない、そういうことを言わなくてはならないのは悲しい。楽しくない。暗い性格が更に暗くなる。明るくなる必要もないけれど、今年もよろしくお願いしますと直接ご挨拶できるのはうれしいし、その準備に応援したい人や店に買い物に行けるのは楽しい。

物へのこだわりも無い方ではないけれど、相手の喜ぶ顔を浮かべておつきあいを考えたい。常識的な何かとか高級な何かよりも自分の人間性が出るおつきあい。
嫌なら相手が離れてくれるだろう。そして気に入ってくれる人がやってくる。

そう思って新年のご挨拶に良い準備ができたら、年末年始にご褒美の様なことが続いた。ツキが回ってきたとは調和して循環している証拠だと喜んだ。
良い時も悪い時もあるだろうと思いつつも、調和がとれて良い循環を生めるって自分らしい暮らしの大切な目標だ。できるだけでいいからやったらいいと思う。端から飽き性だ。年中行事全部とか毎年同じようにとかは期待せず、そういう奴だと言われながら思われながらのおつきあいが出来ていったらいいな。

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