直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

はなしと語り 話は放し

余白も行間も構成も雑多でわかりやすさは一切追求していないブログをお読みくださりありがとうございます。

部屋で好きにしている自由研究のつもりでしばらく書いています。

 

5月の大型連休が何年振りかにほぼカレンダー通りの休みになり、ソロ活リハビリからようやく図書館カードを復活させた。数年前から好きな図書館で本を借りても手をつけられずに夜遅く返却ポストへ返すばかりという生活になった。どうしてそうなったのか改めて驚く。それはいいとして。

以前借りた本に推しの三遊亭兼好師匠が「サンプル」として載っていた。
近所の図書館で演芸本の棚で見つけて一度借りたのが落語と師匠にハマった直後ぐらいのこと。師匠が演じる” 色っぽい女性のしぐさ ” をとても覚えていた。本の名前はすっかり忘れてしまい、時々思い出してまた見たくなり、探し出そうとしてはまた忘れていた。

図書館カードを復活させたので改めて探してみた。図書館の検索システムも進化していて、表紙画像も載っていたので思い出して見つけることができた。本の名前は『超初心者のための落語入門』で、「落語の仕草と小道具」というコラムに兼好師匠が載っている。様々な仕草を演じている師匠を、解説やセリフ付き見ることができる。

超初心者のための落語入門 (カルチャー図解)

超初心者のための落語入門 (カルチャー図解)

見つけた当時は落語よりも推し師匠にとにかく夢中な時代だったので、師匠が載っていることそのものに大興奮していた。改めて見ると、何年も落語を聴きに通っていてもわかりやすく楽しめる。今では生で見ている落語家さん達が前名で座談会をしていたり、毎月楽しみにしている東京かわら版の編集長のインタビューがあったり、かわいいイラストで落語の名作が紹介されていたりとなかなか良い本だ。大興奮したコラムには兼好師匠の扇子と手ぬぐいが小道具として載っている。真打昇進翌年の出版ということもあってか、今ではなかなか貴重な手ぬぐいが載っていた。仕草もたくさん載っていて、兼好師匠の高座を楽しんでいる人ならあの噺、この落語と思い浮かぶのではないだろうか。

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そろそろ帰ろうと思った時に、目に入ったのが『かぐや姫菅原道真 私の「竹取物語」論』という本。竹取物語菅原道真も関心ワードなので手に取ると、実は竹取物語を書いたのは菅原道真ではないか?という作者説が面白そうな本だった。他の本も借りたばかりで、今はいいかな…と思いながら冒頭を読むとこうあった。

「昔ばなし」「お話」などと使われる「はなし(話)」や「話す」ということばは意外に新しい語で、「(放つ)放す」から意味分化して定着するのが、室町時代末期と考えられている。胸の内にある思いを体の外にとき放つ行為も「はなす」という行為であった。では、それ以前、いわゆる「お話」のことや「話す」ことはなんと言っていたかというと、「(もの)言う」「語る」「語り」などという言葉を用いていた。(中略)現代語で「はなし」という語が指し示す範囲は広く種々雑多で「かたり」をも「はなし」と言うことがある。(中略)始めがあり終わりがある、そんな「かた」を持った、まとまりのある話を「語り」と言っている。

かぐや姫と菅原道真: 私の「竹取物語」論 (和泉選書) 

かぐや姫と菅原道真: 私の「竹取物語」論 (和泉選書)

 

端午の節句は祓い
ちまきに使う茅や笹の葉は剣の形霊も持つような。鯉のぼりに似てなくもないけど。
健やかには祓い手放し必須。
そしてもう夏が立つのですね
発せられた波が鎮まることを願いつつ。肝心な時を意識させられる龍の手。 pic.twitter.com/PjBkpTGyL4

— 直子 (@Entsunagi705) 2023年5月5日

 

昨日は「端午の節句」だった。中国の邪気を祓う風習や日本の田植え前に行う身を清める風習から発展したといわれると知って、祓う時期、手放す時期として意識しなおしたところに「はなし」は「放し」と言われると、落語にはやはり隠された秘密があるようで、聴いて笑うことで手放せる何かがあるように思ってしまう。逆に演芸の中でも似て非なる講談が「語る」と言われることも「かた」と聞くと納得してしまう。落語も物語を含んではいるけれど、人情噺も人情物語ではなく、サゲで突如終わる。

“「(放つ)放す」から意味分化して定着するのが、室町時代末期 ” というのも興味深い。落語の祖ともいわれる安楽庵策伝は御伽衆(おとぎしゅう)。御伽衆は、室町時代後期からある職業で、御伽衆の中に御咄衆が含まれるという。“ 咄” (はなし)という字も口から放つそのもので、明確に説明はできないけれど、物語や語りとは違う感覚がある。“ 落とし咄 ” が “ 落語 ” と呼ばれるようになったのは1887(明治20)年ごろ。落語中興の祖、三遊亭圓朝が活躍して落語を芸術に高め、演芸速記本が出版された頃に近い、と先日見てきた演芸資料展示室の企画展パンフレットを引っ張り出す。その頃「噺し」と「語り」が一括りになったのだろうか。正確な答えがないから見聞きした点と線を(勝手に)結んでああだのこうだの好きに考えるのが面白い。

ひとりで好きに考えるのも楽しいけれど、それを“ 話す ” のもまた楽しい。正確な情報だのエビデンスだのを元に論じるのは“ 語る ” に近く、“ 物語り ”ではないな。誰かに間違っていると言われそうで話さないのは とき放てない ということかもしれない。意識して「はなし」と「語り」を測ってみるのも面白そうだ。はなしは尽きない。