直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

落語は「千三つ」に浸れるから心地よい

「千三つ(せんみつ)」という言葉は落語で知った。
文字通り千に三つしか本当のことを言わない大ぼら吹きのこと。

先日まで笑点の新メンバーは誰だ?という話題で大盛り上がりだった。
誰が良いも悪いも候補に予想に円楽師匠の遺言まで出て、出回る記事は見出ししか読まないようにしていた。最初はテレビで聞く名前しか候補に上がっていなかった記事が、SNSの予想や賛否に便乗して盛り上がりそうな名前を追加していく様に苛立った。落語会に出かけても話題を振る人がいて、もし推しが新メンバーになっても追いかけるか?という無用な悩みを負わされそうになった。
円楽師匠が遺言で残したし、各協会のバランスを取るのも必要だけれど、仕方ないから兼好師匠に決まりました、となったら師匠、見損なったゼと大いに拗ねて、落語に行くの嫌いになると思った。記事に書かれている関係者って誰だよ、名前を載せろ、この根拠なし!といつも思うのに、世の中は本当の情報という前提で噂が更に沸く。良くも悪くも「話題性」は人気商売の常とう手段だから仕方ないのかもしれない。

一之輔師匠だと判明した夜は驚きと賛否が飛び交い、翌日以降にご本人のコメントを見て見れば、やあやあ、一之輔師匠も笑点メンバーもみなさん私が好きな落語家さん達だったと安堵する。コロナ禍になってテレビが壊れてからアプリでも見れないから笑点は結局録画もできないし見てないのだけれど、笑点を見て落語に興味を持つ人が増えればいいね。

発表前夜の頃から兼好師匠は義理立て候補として挙げられて腹立つから出ません!と高座で笑わせてくれていた。発表後は一之輔師匠のあのとぼけ方はない、円楽師匠の遺言を確認したところちょっと違った、などといつも通りどこまで嘘でどこまでホントかわからないキツい冗談を満面の笑顔で楽しそうに話す。

「話題性」は人気商売につきものなれど、ニュース記事やSNSの噂にはなぜか苛立つ。反対に話だけ聞いたらいくらなんでも酷い冗談が高座で聞くと笑える、ということに気がついた。

「千三つ」は、実は不動産やマーケティングや確率論の世界でも使われる言葉らしい。意味は同じ千に三つ、0.3%という意味で、1000個のうち真実は3つだけ。今時のネット情報に苛立つのは1つの話に真実が0.3%以下だと感じるからかもしれない。情報の真意に関係なく、正しさのマウント取り合ったり、正義を振りかざして結果関係ない誰かを言葉で傷つけやすい環境だからかもしれない。

寄席演芸、落語は「千三つ」だから心地よい。マスコミやネットで記録され拡散されて下手をすると叩かれる場所と居心地の良さが違う。新聞、ニュース、ゴシップで話題になった出来事を、人間がやらかす笑い話として楽しく料理して聞かせてくれる。もちろん中には反骨精神を交える人もいれば、こちらと意見が違う批判を繰り広げる芸人さんもいるけれど、高座と客席の絶妙な距離感で拾っても捨ててもご自由に、の世界だ。噺しは千三つで落語は正しさを追求しない。しないからこそ物語特有の普遍成分が高いのかもしれないな。

正しさは見る角度で変わる。見る立場で変わる。見た日の機嫌で変わるもの。
見た人言う人広げる人で結果が変わるもの。

寄席や落語会に出かけたら、最初から100%ウソだと思って聞けば楽しい。くだらないことにもっと笑える。中にホントの話が混ざっていようが嘘八百だろうが、どうでも良くなる。
とあるマクラを聞いて、落語家さんにも世の男性にも裏切られたかのように本気で怒っていた人を見て驚いたことがあった。仕事や人間関係で、嫌でも求められる正しさを忘れられる良い場所なんですから、真面目に聴いてはいけません。想像力で千三つファンタジーに浸るべし。


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