直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

自分の中では、繋がっている。

ブログの下書きが溜まり続けている。

書き出しから終わりが長い。
その上、書こうと思ったことからはみ出しまくって
途中で呆れ半分、まとめるのも面倒になって寝かす。

別に出せばいいのにと思うけれど、できない。

昔よく話し相手に「話が飛ぶよね」と言われて傷ついてきた。
飛ぶのが悪いと言われたわけではないけれど、相手に伝わっていないのはわかった。
だから伝わるように間を話すと長ったらしくなる。その上まとまりがなくなる。

まったく違う話題を突然話し出して戸惑う相手に申し訳ない、
きっとそういう話し方では楽しくないのだろうと
長くなると謝って話を切り上げる、そんな習慣が身に沁みついている。

ただ、話は飛ぶわけでなく(自分の中では)繋がっている。

その繋がりを出したほうが良いこともあるのではないか?

ロジカルでない方から言葉が浮かぶ。

 

出すことでなにか役に立つことが思いつくわけではないけれど
ぼんやりそう思い浮かぶ理由があるとすれば、目にしている情報かもしれない。


シンプルにわかりやすく短いのが良い価値観で切り取られた情報を見ると
人の心の動きは今の世の中、特にニュースや情報の中ではムダ扱いされていると感じる。

一方でハラスメントやゴシップへの発信を見かけると感情のコントロールはどうなっているのか不安になる。だれもが持っている不当な、不公平な扱いへの怒りがあちこちで噴出している。違う価値観の人たちを叩くような比較発言になっていることが多く、直接の関係者でもないのによく傷つく。

自分と考え方が違う腹の立つ相手をジャッジする言葉は脳内でよく発生する。
人を責める想像もよくするけれど、大概はひとしきりやれば出す前に違う結論が出る。お腹が空いていたいたとか疲れているとか。
関係ないようで頭と体、感情も深く繋がっている。

大概トレンドの話題は白黒つけたがる内容で、実際他人が本当の事実を知ることができるわけもなくジャッジは限りなくつけにくい。
見張る人のジャッジは実は独自ルールだ。どう責められるかわからない。
誰かが言っていたけれど、見張る人やルールが厳しくなれば隠れるものだと。

争いたいわけでもなく、普段からしていたことが突然罪だとルールができる。
そこからやめることができても世の中は過去まで漁る。
勘違いした記者がネット上でバズる刺激的に仕立てた見出しで盛り上げる。
ネット情報の耐性がない人は表面的な情報だけを見る。
面白がっている間は有名人を叩いたりそれを見たりしても平気だけれど
誰に相談すればよいのか、裏切られるのではないか、どこへ行けば居場所があるのか
追い詰められてしまう人もいる。悪循環に尽きる。

多様性の価値観は今を壊して受け容れる覚悟が必要で、安心できるシェルターの存在が大切だ。
まずは「自分を受け容れてくれる居場所(人)がある」前提でなかったら
多様性といいながらまず自分がはじかれたら生きていけない。

グレーで超難解、だから後回しにされていたことをルール化しなければならない今は便利でわかりやすいけれどある意味不幸だ。そんなに公平に均等に人と付き合えるの?
縁のある人の顔が浮かんだら、その人へ連絡するのも人だと思うのだけれど。

話は脱線しているようだけれど、とにかく情報に不快を感じることが増えて
ネットやメディアという日頃の接点の中に多く含まれていて影響がありすぎる。
発信のテーマそのものが不快なわけではないのだけれど、傷ついただろう分の恨みにも似たものが乗っていると、勝ち負けをはっきりさせたい争いたい気持ちが強く感じられて不快だ。

それもまた「(自分の中では)繋がっている。」ことだけれど。

 

自分の中では、繋がっている。

誰にでもあるのだと思う。いいことも、嫌なことも。

韻を踏む洒落も音の重なり。これも繋がり。

なにか1つの話題から想起されること。
それも経験からくるフックで繋がっていること。
気づいて面白いと思えれば 喜怒哀楽記憶の宝探しで見つけたお宝。

話を止めずに話すと、面白くて時間や長さが気にならなかった、と言ってもらえることがある。
ムダと思えばムダ。
宝と思えればお宝。

話が長い、話が飛ぶ、なんて言葉を直接言われることはない。
過去の事例に倣って脳内にいる審判が旗を挙げているだけだ。
一番早く怒り出す人はこれぐらいで止めないとキケンだから、といった具合に。
不意打ちで噛みつかれるのが恐ろしいから身構えてしまうだけ。

 

話が飛ぶぐらい経験があって想像して繋ぐことができる。
余計なことは考えず、才能として受け容れられたら
もっと価値を楽しんで繋いでいくことができるのに。

少しずつ外していって
自分の中で繋がっていることを外にもつなげよう。
繋がらなければ、そのままでいいのだから。