直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

グズってひとつ整理できた(長め)

ネガティブな感情を含めたことを書くとなんだか人の反応がとても早く届く気がする。それがとても怖い。

 

人は面白くて好きでとても怖い存在。好きか嫌いかの二極ではない。けれど個人的な感情としては人の好き嫌いは激しい。

穏やかに思う事を話せたらと思うのに楽しく話せるのは最初のうちだけ。理解して貰えていると思えることはとても少ない。相手の言葉に過剰に反応しているのも自覚あり。それでも反応してしまうので距離感が大事。

天気屋で気分もコロコロ変わる。相手も驚く事だろう。脳内会議には数知れない自分が揃う。他人のイメージにピッタリ合う自分はいない。心の中でごめんなさいねと思う。合わせようと途中まで努力するも無理が効かず期待を裏切る事は多い。

意外性を面白がってくれたり、自分より自分のことを見抜いてくれる人は尊敬し信頼し安心する。信頼できそうと思っていたのに裏切られたり豹変された時はこの上なく傷つく。信頼できる人でも出来ていない人でも傷つく。良かれと思って人がすることを信頼出来ない。つきあいは会話は楽しく肯定多めがうれしい。

 

絵を描いている真夜中、自分のことが見えない上映中の映画館、静かな図書館、本の中の世界。没頭して自分を見ないでいられる場所に安心した時期も長くあった。

良く言えば繊細。細かい事気にする。散々痛い目にあってきても人に期待しすぎているかも知れない。その分傷つく。それでも期待せずにいられない。その繰り返し。体を壊したことから少しだけ処世術を身につけた。

ネガティブなことにばかり反応する相手にはとても警戒する。言葉の数や威力の分だけ影響を受けてしまうから。情が深いから憎しみも募るように感じる人は特に怖い。相手に求めるものが厳しい。そんな人にずっと聞かされた過去の言葉の影響は大きい。人や常識を疑ってみる視点をもたらしてくれた反面、自分を見失うトラウマも数々あった。ひとつずつ捉え直すのは骨が折れる。苦手な人に似ている態度や言葉には過敏になる。目の前の相手が好きか嫌いかじゃないな、と近頃思う。

だから自分が愚痴たり荒んだりして投稿しかけて下書きで留めた感情的なつぶやきが溜まるような時は特に、スカッと笑わせてくれる、想像以上の提案をくれる人はこの上なく好きだ。受け流す方法を増やしてくれる。

落語が好きになったのは代弁してくれる上にそんな捉え方あるのか!のうれしい感情がきっかけだった。笑える上に元気が出る。一見苦手、友達にはなりたくないタイプ(笑)でも面白い発見をさせてくれる落語家さんとの遭遇がある。

演者は客が最後まで話を遮らずに聞いてくれるのが良いと聞くけれど、話を最後まで聞けない諦めが早い性格には、辛抱して聴いているうちに人の面白さが見えたりする。落語に飽きない理由のひとつかもしれない。

 

気づかせて笑わせるけどさりげない言葉の力は心地よく安心できて、もっともっとと聴きたくなる。

グズグズ書いてみて、反応にモヤモヤして結局どうしたかったかがわかってスッキリした。

視界に入ってくる人を出来るだけ短時間で受け流して高座を堪能したい。ただそれだけなんだよね。せめて客席でみんなで前向いて高座を見ている時くらい協力してさ、みんなで噺し聴いてわっと笑ったら楽しいじゃん?他にそんな場所なかなかない良い所に集まってるんだからさ?

 

そういえば、好きに話したいならテレビの前で良いでしょ?テレビの前と同じ感じなんだな、と思ったこともあったな(笑)ある意味リラックスされているのだろう。過敏な方はその感覚こそ落語を楽しめる才能なんだから、不快なことから早く離れて見ていたいものを見たら良い。結局そこで客席で前座修行みたいなことになるかもしれなくても。