2日続けて落語会へ。
落語会でよくあるのが高座の最中に客席で起こる音が気になる問題。
携帯電話のメールや電話着信音、荷物をまさぐる音、食べようとする飴の包みやビニールのカサカサ音、お連れさんとの話し声、わざわざ噺し始めに演目を口に出して周りに同意を求める人もいる。
開演前のアナウンスや高座に上がった前座さんの注意喚起も無駄に思える。まったく聞いてなかったんだな、とガッカリする。いい大人なのに、と落語に集中したい気持ちを削がれた怒りに苛まれる。かといって落語の最中に声を掛けるのは憚られる。そもそもいい加減にしろと客同士で喧嘩もしたくもない。完全に迷惑被る方が耐える形になる。良くて高座の師匠が笑いに変えてくれるくらいか。
一昨日は持ってきた傘を杖にして上に腕を乗せたり前にのめったりやめたりまた両腕を前に伸ばす、とにかく落ち着かない人が横にいた。演目を言う、も一度だけでない合わせ技で視界に入ってくる。その一つ向こうの人は携帯を鳴らして前の列の何人かを振り返らせる。
昨日は脇でお連れに話すのをやめられない方と、後ろでビニールの音をカサコソとさせ、ファスナーを開けたり閉めたりを繰り返す人がいた。なぜ高座中に?解けない疑問に気持ちが持っていかれる。
落語に来るお客さんはご高齢の先輩方もお話好きな方も多い。何か言いたいのを後にはできないのもわからなくもない。自分の耳にはメールの着信音程度の音は聞こえないかもしれないし、自分で立てているカサカサ音は気にならないかもしれない。わざとではないと思いたいし、自分もそのうち同じことで周りをイライラさせる可能性も高いと思いながらイライラする。高座の言葉が頭に入らなくなる。
落ち着きがない人達は、図ったように高座を聴く姿勢になった頃に音を出し始める。
シーンとする中、今じゃないよね?と思うタイミングに手や口が動く。別の客が睨んでも無駄だ。どうしてもバックのファスナーは今閉めたい。カバンの中身も今整理したい。飴は袋を開けてまさぐるところから。
落語と言わず芝居でもなんでも娯楽の場所は友達なんかと連れ立ってくるから話しかけずにいられない。
落語会も終盤の盛り上がる頃、しばらく話し声が続いた後、小学生ぐらいの子どもさんがパタパタと客席から出て行った。
子どもはつまらないとか疲れたとか飽きたとかでグズグズ言い出す。大人に付き合わされて来ていれば、客席でじっとしていられる方が心配だ。
大人なら大丈夫かといえばそんなこともない。子どもの頃グズっていたのを克服してから大人になるわけでもない。つまり大人もじっとしてられない。誤魔化す方法が子どもより込み入っていて返って苛立たされているだけだ。
演目を言わずにはいられない人に「うるさいなぁ」とか「違うよ」とか言ってみたい衝動に駆られる。「黙っていられないの?」とか。頭の中では頭では案外どう仕留めてやろうかと聴いてる落語より怖いことを考えているかもしれない。そんなことを考えてしまったことさえいかんいかんと思い直しているこっちの身になって欲しい。大好きな時間を邪魔されているファンはブチ切れ寸前ですと伝わるといいのだけれど。
すごいね、よく知ってるねと思われたい、思っていることがうっかり口から出るようになってしまった、周りが静かだとつい音を立てたくなる、無くて七癖。宿屋の敵討。人はそういうもの。
それでも間が悪いと許せない。落語でなら笑えるのに不思議だ。現実では注意した方が損をする。だから誰も注意もしない。
落語を聴きに来ているといってもそれぞれ。愚痴ているこちらも外から見れば七癖あるに違いない。それでも落ち着きがない人を見て噺しが入ってこなくなると何しにきたのか悲しくなる。
勝手自由な客を眺めながら高座に上がる人達もどんな心持ちだろう。目が笑ってないのは当然かもしれない(笑)
コロナ禍のマスク、夏の疲れ、イライラは募りやすいけれど、笑おう楽しもうと噺しを聴きに足を運ぶのだから、そういう癖のある御仁がたくさんいても、気にせずケラケラと笑い聴き惚れていたいものだ。