今週は一週間まるっと悩ましい話が連続。
そんな山を一つ越えたら落語のお誘いが。ああお天道様見ててくれた!って喜び勇んで出かけてきました。笑った笑った。
北千住から歩いて15分弱の会場からは荒川が近そう。終わる時間もまだ明るいうち。落語アフターは荒川まで歩くことにしました。大体の道を落語仲間に教わって出発。
途中で見つけた神社さん。境内は大きくありませんが、大きな石碑があったり、綺麗にお花が飾られてお水も上げられていました。落語聴きに遊びに来ました、とご挨拶。
石碑が気になって裏を見ると昭和20年代の建立。「元宿堰稲荷神社」という名前も墨堤通り沿いで土手とか堰とか宿とか縁が気になる名前です。
お参りし終わって墨堤通りをちょっと進むと玉垣に囲まれた大きな2本の銀杏の木と小さなお社が。入口に先程の「元宿堰稲荷神社」という名前が再び。境内が小さくなって飛び地になったのかな?と思いながらこちらもお参り。お社の後ろからお日様。
更に隣には古い石柱がいくつかとなにやら案内板が。「冨嶽三十六景『武州千住』千住浮世絵顕彰碑」とあり、葛飾北斎が描いた「冨嶽三十六景『武州千住』」の題材になった場所なのだとか。へえ!冨嶽で桜木とは富士にコノハナサクヤヒメと揃いで目出度い。かつての景色も見てみたい。
葛飾北斎 画 ほか『富岳三十六景 : 葛飾北斎傑作』,風俗絵巻出版協会,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1687426 (参照 2025-01-19)より
一番大きな石柱は弘法大師とか子育地蔵菩薩、とか読める所も。天保十一歳(年)建立って書いてない?とりあえず写真で記録。こういうものが気になって見てしまう怪しい人間。だから寄り道きりなし。
後で調べてみたら膨大な数の石道標を調査をしている方がいました。足立風土記の道しるべの調査資料に載っている模様。興味深い。
あまりのんびりしていると日が落ちてしまうので先に進む。ようやく知った場所に出た。以前足立の花火大会を見に来たとき通った交差点。ここを渡って土手をあがって行けば荒川!
土手に登って目に入った景色気持ちいい。天気が良くて寒いけれど、風は穏やか。快晴の空と映る荒川、ススキの河原。写真だと明るく見えるけれどマジックアワー。見惚れた。
こうなるとすぐ近いはずの隅田川も見たくなる。少し戻ってさっきの交差点から隅田川の方へ。尾竹橋を渡ってなんとかギリギリだったけれど隅田川の川面キラキラも見ることができました。
落語へ出かける途中、浅草寺に寄れたら行きたいと思っていたので調べてみると、すぐそこのバス停から行けそう。ラッキー。で橋のたもとのバス停でバスを待つ。
目の前にご婦人がおふたり。見知らぬ方同士のようなのに「寒いですね」とすぐに話し始める。落語会でも感じたけれど、都会の他人行儀感があまり感じない気楽さがいい感じ。千住桜木、良い所だな。
バスに乗ると、前に花火大会を見に行った時歩いたのは町屋から続くこっちの道だと気づく。以前は夜道を大勢で進んだので景色があまりわからなかったけれど、尾竹橋のシルエットは見た覚えがあった。
都営バスで「浅草公園六区」バス停で降りて浅草寺へ。もう夕方の5時をまわって辺りは暗くなってきた。目の前はつくばエクスプレス浅草駅。東洋館、浅草演芸ホールを通って、浅草六区通り。
街灯に浅草で活躍してきた芸人さんが!懐かしい笑点の司会していた三波伸介さんだ!こっちは青空球児・好児のお二人!先もずっと続いてる。改めて見ると面白い。
その先の伝法院通りは更に人が多い。普段から人が多い道を避けているのであまり通らないエリアに入ってしまった。そういえば週末、と思った時には遅い。でも混みあう仲見世通りも乗り切った。落語と荒川の相乗効果?
浅草寺では1つミッションがあったのだけれど、こっちは寄り道が過ぎて日が暮れ時間切れ。それはまたなるはやの別日にするとして、せっかくなので観音様にお参りした。
境内は夕方5時過ぎで明かりが落ち始め社務所も終っていたけれど、参拝客はまだまだ。混雑の中手を合わせてお参りが終わって無意識に浅草神社に足が向く。隣り合っているのに空気が違って落ち着いた。
その後は仲見世をチラッと覗きなおしてから二尊仏さんに手を合わせる。仲見世の裏手、観音通りに抜ける道へ。こっちも賑わってる。浅草ならではのお土産屋さんや雑貨屋さんが気になる。
普段通らない道ばかり通ってみると浅草の賑わいを目にできて楽しかった。落語を聴くようになってから行く場所になったせいか、うろうろしている割に遊びに行っていなかった街かもしれない。伝法院の庭園も見てみたいし、公開時期を狙って行ってみたいな。
観音通りのアーケード手前の伝法院通りからスカイツリー
昔は寄席に行くとなると正月は20日ぐらいまではお着物の人がいたものですが、ちょっとヤクルト取りに出たというような方もいますね、とマクラで聞いて笑ったけれど、後の浅草にはレース生地に包まれた着物姿の若い女性も見かけたし、お着物のお店もたくさんあった。
お着物でおめかしして出かけるのがお正月らしさ、という風習は無くなりつつある代わりに、季節に関わらず映え写真が撮れる観光スポットが着物を着て出かける場所になったのかも。季節の風情が変わるのは惜しいけれど、今の流行、スタイルと昔の習慣両方を知っている今はその違いもまた面白い。
後から調べると、散策した場所それぞれの昔もそれぞれ面白かった。
鎌倉時代からある元宿の集落、今日見た荒川の景色は江戸時代にはまるでなく、明治44年から17年もかかって開削された荒川放水路の工事でできたもの。荒川放水路は以前書いた木母寺の歴史にもちょっと関連があって大工事だったことは知っていたけれど、今日自分の目で見て東京の歴史的工事を実感した。
知っていますか?荒川放水路のこと「荒川放水路通水100周年」 |足立区
元宿もこの工事で変貌し、元宿堰稲荷神社も戦中に元宿神社へ合祀、戦後に復祀されたのだとか。玉垣で囲まれていた場所は元宮とのこと。今の穏やかな景色が有難い。
「元宿堰」は北斎の「武州千住」にも描かれている隅田川の水を逆流させないための堰枠で、水害対策でもあり、ランドマークにもなっていた模様。
東京に長く暮らしていると言っても知らないことだらけ。つまり興味を持つたびに調べるだけで面白いことだらけ。たまには流行のものも試したら楽しいだろうとは思いつつ、好きに歩いて見つけては調べるのがやっぱり面白くて楽しい。
そうそう、隅田川の尾竹橋のたもとで撮ったこの写真に左側にある帝京科学大学の建物の前に大きな丸いオブジェが映っていますが、これはかつて「お化け煙突」と呼ばれた千住火力発電所の煙突の一部をモニュメントにしたものなのだそうです。そういえば東京を紹介する番組で見た気たする!
しかも、元宿堰稲荷神社はこの火力発電所の鎮守とされ「旧千住四本煙突守護社」という名もあるのだそう。元宿堰稲荷神社とお化け煙突にも縁があったなんて。お化け煙突そのものは見たこともないし生まれる前になくなってしまったものですが、これも木母寺調べたり、偶然テレビ番組で続けて見たとかで東京の名物だったらしいことを知ったばかり。自分の目で見たものと知識が繋がる、点と点が線になるのが面白い体験に感じるのかもしれません。
江戸時代に元宿も堰も浮世絵で歴史に残されたうえ、昭和のお化け煙突もモニュメントとして残されていて、千住文化普及会さんのサイトを見てもわかるように、地域の方が地域を愛してらっしゃるのが伝わってくる。記録に残されているってそういうことだとやっとわかってきた気がします。近頃関心が強くなって活用する機会も増えているデジタルアーカイブにも繋がってくる。
今日回った千住界隈は足立区の中でも兼好師匠とも縁のある場所だとは誘ってくれた落語仲間の言葉。薄々知ってはいたものの、そういわれるともしニアミスしたら完全に変態ファンだなとハラハラしたりして。何をハラハラしたのやら。
楽しい時間と良い景色。好きに歩いて見て回れた。おかげでややハイテンションにもなった一日でした。