直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり推し事したり。

引きこもりでなく巣ごもり

「引きこもりでなく巣ごもり」

少し夜更かし気味で
起きる気になるまで布団に戻って
なかなかその気になれない下洗いを背中で日向ぼっこしながらやってようやく洗濯
落語を一席二席流し聴いて珈琲を入れ
縁側席で気が向いた読み物を読んだり音読したりする。

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寄席に行けたら行きたいなぁと思っていても
出掛けるには体はついてこない
ただ身動き取れないわけでもないし
省略版なら家事もやる
少しやるうちに洗濯から掃除、掃除から炊事と出来てきても、部屋を片付けるまでは行かない

片足立ちで歯磨き
特に流儀なく踊り体を伸ばして体に様子を聞く
窓際に座って好きに配信番組を観て、読めていない本の山を持ち出してくる
思いついて気が済むところまで調べる
特に不自由もなく苦情もない

出掛ける予定は早々に諦めて
まだそういう調子だよなぁと感じるけれど
家の中ではあれこれしている
外に出るより自分と遊びたい時期なのかなと思いつく

病気して外に出られなくなると
外に出られないことが辛く、引きこもることが良くないこと、人の役に立てていない悪いことで、社会から見放されるよう、人に会えないから忘れられてしまう楽しくないこと、運動不足で体にも良くないのに、と後ろ向きのイメージが次々出てくるけれど、そこに自分との会話はない。

何が良いことなのか、社会から見た物差しでの良し悪しは情報として大量にあり、時に「普通」「常識」と呼んで当然の様に諭してくる人もいるけれど、世の中の情報は統計的な数字があっても自分の体と心に最適だという根拠はない。外に出られない…の後浮かんだあれこれは、どこかから取り込んで思い込んだ考えの可能性が高い。
これは病気の教えだ。

結局相手が納得いくかどうかが交渉の要だ、とは今日見た家康の交渉術の配信番組で聞いた言葉だけれど、この世で一番納得させて折り合いをつけたい交渉相手は大概自分自身。
それがたとえ人のためになることをしようという時も。

そんなことを思う中で「自分と遊びたい時期なのかな」という今日の結論はことのほか気に入っている。納得感があり安心した。後ろ向きの「引きこもり」が楽しい「巣ごもり」に変わる程。もちろん、はしゃぐ様な楽しさでなく穏やかなものだけれど。

後ろ向きが過ぎる時にはなかなか楽しい所までいかないもの。それでも観察を続けると客観的に見えてくる。見えない時は、実は余裕がない。

暖かくなる春も不安定になるのだとか。どの季節もそんな話を聞く気がするけれど、日々心身が様々影響を受けていることに間違いない。
「引きこもり」と自分を責めそうになっても「巣ごもり」と楽しめるくらいは保ちたいもの。そもそも籠って自由研究は好物なのだから。

家から出ない日でも、陽を浴びたり風を通したり、一息二息深呼吸するだけで違うのが、息が浅くなかなか出来ない時は、握っている何かを手放す時かもしれない。体は気づかせるためにわざとそんなことをしてくる。悪戯してくる子供の様に。