直子の探求時間

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圓朝忌はいつから始まったのだろう(未解決)

圓朝忌と呼ばれる8月11日は、その名の通り三遊亭圓朝の御命日。

なのだけれども、今いちピンと来ないでここまできた。

誰が始めた法要で、今の形になったのだろう。

気になっていたことを思い出したのは翌日8月12日に読んだ落語協会新会長の記事見出しから。

柳家さん喬「円朝師匠のおかげで落語協会も100年」 三遊亭円朝の命日である「圓朝忌」法要で感謝(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

news.yahoo.co.jp

 

結論から言うとはっきり流れがわかった訳ではない。

今年は落語協会が設立されて100年。
三遊亭圓朝没後124年。(明治33年(1900年)没)となる。

落語界においては欠かせない人物だけに、圓朝の名が行事や落語会の名前に入ることも多い。8月の命日周辺は特に多い。

その名の通り「圓朝忌」は法要が行われる。落語家による奉納落語や扇子供養がいつからのものかはわからないが、落語家の内輪での法要行事から始まったらしい。

 

平成12年(2000年)までは、落語協会落語芸術協会が隔年交替で主催していたのが、平成13年(2001年)から落語協会が単独開催する流れとなる。
平成14年(2002年)以降法要に加えファン感謝イベントを開始。イベント名も「圓朝忌」から「圓朝まつり」となる。
平成17年(2005年)には約1万人が訪れる大イベントに成長、日程も8月11日近くの日曜に開催された。
平成19年(2007年)のみ「圓朝記念・落語協会感謝祭」(谷中圓朝まつりとの混同を避ける為)
平成24年(2012年)来場者増加に伴い8月の「圓朝まつり」を終了
平成25年(2013年)「圓朝忌」に名称も戻す。
平成27年(2015年)8月に「圓朝忌」、9月に湯島天満宮でのファン感謝イベント「謝楽祭(しゃらくさい)」を開催する形となる

参考:Wikpedia 「三遊亭圓朝」圓朝忌 より)

今年も行われた落語協会による「圓朝忌」行事の経緯は初めて知った。
ファン感謝イベント「謝楽祭」も、圓朝忌に端を発していたのか。

そういえば「謝楽祭」は以前は開催場所も名前も違っていた、と落語仲間から聞いたことがあった。当時は落語界の歴史や経緯にはむしろ興味がなく、一度聞いて忘れていた。「圓朝忌」の法要を落語協会でしている理由は四派に別れたこととは関係がなさそうだった。

山本進著「図説 落語の歴史 (ふくろうの本)」(河出書房新社)によると、明治8年(1875年)に芸人の賦金(ふきん)制度、寄席や劇場に出る実演者に一種の営業税を納めさせて営業許可証として「鑑札」を発行する制度が明治新政府によって始められる。
この納付管理のために設けられた業種ごと組合に責任者として頭取が据えられた。
初代頭取を勤めたのが麗々亭柳橋三遊亭圓朝

相撲を模した明治時代の落語家番付で、中央下に大きく三遊亭圓朝とあり頭取と書かれるものを目にしたことがある。所謂香盤だと思っていて、どういう頭取なのかよくわからずに眺めていたが、組合という団体の形にする必要があり、圓朝はその責任者だった。まだ三遊派柳派に別れて切磋琢磨する前の時代のこと。明治時代の落語家団体の初代代表の一人だったわけだ。

賦金(ふきん)制度は圓朝没後、大正末期まで続いている。
大正12年(1923年)関東大震災での被災と打撃を受けて結束した落語協会と入れ違いだ。大正13年1924年)発会した落語協会も翌年に制度を解消しているが、最初は二人頭取制だった。管理できる団体が出来たとして引き継がれたのだろうか。

参考:協会概要 | 一般社団法人落語協会

落語界のことを調べると、法要や追善を大切な機会として興行をしたりする。
劇場で仕事をしてみると、落語の世界だけでなく伝統芸能での追善は当然の行事だと知った。名前が残っていく世界には過去と未来を繋ぐ縁起といえるのかもしれない。

寄席で鬼籍に入った師匠方の追善興行が行われ、足を運ぶと師弟どちらかでも知っていれば、座談で聞いた思い出話も寄席の思い出になり、次には寄席がわかる楽しみになる。その中でも圓朝は特殊に感じる。なかでも時代が遠いから、ということなのだろうか。

 

124年前の8月11日は数日前から最高気温が30度を超える陽気だったらしい。

東京(東京都) 1900年8月(日ごとの値)|気象庁|過去の気象データ検索

亡くなってから葬儀の予定が一度変わることになった。本葬は一ヶ月後となった。当日の会葬者は二千人。病状から臨終前のこと、葬儀のそのいきさつから葬儀費用まで記録に残されている。

 

圓朝没後、二十数年後に圓朝全集が作られた。全集の実現経緯も驚く熱量だが、その全集は何度か改訂され出版が重ねられた。圓朝を取り上げた記録も創作も読み切れないほどある。周りが遺そうとする魅力があった人物なのだろう。それが作品の中にも、人との交流の中にも、生き様にも影響力があったのだろう。そう思うとまた興味が湧く。

 

亡くなった頃は今ほどでなかったかもしれないが暑い最中であっただろう。とはいえ。

圓朝は「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」といった有名な怪談を作った人でもあり、谷中の全生庵では幽霊画のコレクションが毎年公開される。8月の旧盆入り直前が命日というのが出来過ぎた偶然に思える。

 

三遊亭圓朝の名前を預かった藤浦家に遺された日記や未完成作品を含めた遺構などは関東大震災で焼けてしまう。幽霊画のコレクションや高座用の湯呑や使った道具は遺されている。まるで圓朝が幽霊を思わせて高座に出てきそうだ。最後まで物語を考えたまま、念を残したようにさえ思える。圓朝の人生と創作した物語を重ね過ぎだろうか。

圓朝忌をイベントに仕立てたのは後世の人達だと勘ぐっても、そんな命日の季節さえ演出に思わせる名手としか思えない。

うらめしや~、冥途のみやげ展 | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]

暑さに疲れて鬱々とこんなことを書いているけれど、8月の寄席は陽気に賑やかな興行が続く。陽気に笑ってスッキリするもよし、あえてこの時期圓朝物を聴くもよし。