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「品川の海に御台場ができるまでー日記でひも解く170年前の大工事ー」@品川歴史館

区立の品川歴史館へ行ってきました。

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リニューアル特別記念展「品川の海に御台場ができるまでー日記でひも解く170年前の大工事ー」

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今年4月リニューアルオープン後、9月から行われていた特別展が12月15日の日曜日で修了なのだそうで見てきました。

特別記念展の展示室は撮影NGですが、一緒に見れる常設展はフラッシュなしなら撮影OK。関連の模型展示もあって展示も広すぎないので両方見るのもおすすめです。

展示スペースは広くありませんが、100円で両方見れて盛り沢山です。

タイトルの通り、江戸時代末期の黒船来航後に築造された御台場の大工事がどのように進んでいったのかを様々な資料で知ることができます。過去に行われた御台場の発掘調査の様子も展示されていました。

設計は西洋の建築工法も取り入れていたり、普請(工事)の中央事務所のようなものをお寺に設置したり(如来寺に「元小屋(もとごや)」(御普請元小屋)を設置して本部と定めていた)、御殿山を削ったことがわかる図など資料も文書だけでなく図も多くあり、資金集め、設計、材料調達、職人調達など具体的にイメージできます。
工事に携わった人達の日記に遺されていた記録がすごくリアルでした。

紹介されていた日記はいくつかありましたが、その一つは下蛇窪村の名主・伊藤清一郎のもの。下蛇窪村は品川区内にあり、伊藤家は昔から区内に住んでいた方から聞いたことがあるお名前です(伊藤博文とは別)。そんなこともあってリアルに感じたのかもしれません。普請について初期から終わりまで日記が残されていたようで、村に帰るところまで書かれていました。

下蛇窪村や品川周辺の地域では明俵(あきだわら)というものを沢山納めたそうです。米俵に米ではなく土を入れて埋め立てに使うものです。中にいれる土は御殿山を削るなどして調達されました。その行程で出た埴輪や石塔の一部も展示されていました。人骨も多く出土したらしく、東海寺で供養も行われたようです。お寺さんの記録や出土品の保存力も改めて凄い。

御台場は元に計画された砲台すべてが竣工されたわけではなかったそうですが、徳川家定公は台場完成後に御上覧にお出かけになったそうです。

江戸城から品川の第一砲台まで行った経路の記録もありなかなか大規模。江戸城の方角から見た形の「江戸湾品川沖御台場御普請絵図」や御殿山から御上覧される準備の様子と思われる「品川砲台大砲試発図」は見応えがありました。

特別記念展を見た後に改めて常設展の御台場の模型を見ると、築造過程の細部が実はかなりこだわり再現されているのがわかってかなり面白い!

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土を詰めた明俵の山の前で指示している人が伊藤さんに見えてきたり、発掘調査で分かった井桁の工法、海面側から石垣を積み上げた高さの比較や、石垣の石を細工する職人さんは信州から来た人かな?とか。より具体的に想像しては楽しめます。

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右から3段階で工程が展示されてます。海面の高さは同じ!

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元は海の場所に長い杭を打って地道に石垣を高く積んでいるのが断面でわかる展示!(気づいてなかった)

しかもこの御台場の築造で培った工法が明治以降の鉄道に技術継承され、高輪ゲートウェイの前で発掘されていた「高輪築堤」に活かされているのだとか。

御台場普請の模型の横には鉄道の模型展示もあるってなんだか感慨深い。
思わず石垣を見てしまいます。

「品川の歴史」とひとくちにいえないぐらい遺されたものが多いのが品川。改めてそんな気持ちになりました。

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以前は「ふ~ん」と見ていた入口脇の石垣石も帰りにはじっくり見てしまいました。

 

追記:普請の本部を東海寺に作ったと誤って書いていたので訂正しました。東海寺に残る資料に書かれていたのを記憶違いしていたようです。東海寺の規模が今とも大きく違い、貴重な記録が遺されていることに興奮してしまったのかも。

 

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