大阪のストリートピアノに表記された内容が物議を醸して、休止のち撤収となったらしい。
ストリートピアノの注意喚起に批判殺到→撤去 運営が「問題だらけ」謝罪も...止まない波紋(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
話題になったSNSのポストを見かけた後、間の炎上をなんとなく受け流し、すっかり撤収された頃に運営側の謝罪投稿を読んだ。
ストリートピアノなのだから上手下手に関わらず弾いていいものなのではないのか?というご意見が流れているらしい頃は運営側の人が厳しめなルールにしたのかな、嫌なことがあったのだろうが、という印象。
撤収後の謝罪文は近頃の話題には珍しく、といったら失礼だが真摯に謝罪され、追加説明まで添えていた。
毎度のことだが外野からチラ見した話題なので特に何か書くつもりもなく、しばらくブログをサボるぐらい書く気力も続かないで過ごしていた中のこと。そんな折だからこそふと記憶と現象が一致した。過干渉、だ。
状況を情報から読み取るに、表記をせざるを得ないことが運営側にもあり、ストリートピアノというものが意味するものの解釈は表記へ反応した人達の意見の中にある通り。家で練習して上手くなってから人前で弾くために置かれているのがストリートピアノだと思ったことはない。
ただ、昨今ストリートピアノで突如プロ演奏を見せて周囲を驚かすようなサプライズ動画を配信で見ることもある。ヘタとかのんびりとかを受け入れられない人がクレームつけてる可能性もある。
置かれていたストリートピアノでの生音で不快を訴えた人が仮にいたとして、やむを得ず表記をした結果、表記内容のみをネットで見た人達がわっと反応する。現場とネットの温度差を運営さんは読みきれなかったのだろう。
どこでもあること。だが、自分事でない人は好き勝手言うものだ。 事情もしらない。しかも言い返せない人にはとことん吐いて叩ける。普段の自分の鬱憤も感情に載せてるだろう。感情を口にするように書き込む。そして美しいピアノは撤去に追いやられた。ストリートピアノではなく展示ピアノとして、時にランチタイムコンサートなどしてプロが演奏する道もあったろうに。
過干渉は苦手だ。干渉も苦手。だから人より不快に感じることも多く、嫌な記憶も多い。
顔が見えない世界は、生身での会話の何倍も何十倍も見知らぬ人間に干渉して知らん顔できて責任も感じないでいられる世界だなとつくづく思う。同じことを考えたとしても、静観することもできるはず。なのにスマホやPCの狭い窓から見かけたものには反射的に反応しやすく、冷静でいられない。
撤収された後に残ったピアノを置くために飾られたスペースは平和に利用されることを願う。どう活用しても意見する人はいるものだ。現場で声高に圧をかける方が得意な人間もいる。間に入る役の気持ちを考えるとやるせない。いつでも、相手があることとして状況や気持ちを考える人と、自分の経験と自分の常識だけで意見する人はいる。
撤収されたピアノも平和な場所で演奏され喜ばれる存在になりますように。