直子の部屋

笑ったり泣いたり踊ったり暴れたり。

自分とのつきあいは厄介で

おちつかない、鬱々とした気持ちが続いています。

 

季節もあるし、暑さもあるけど
前向きになれない理由をどうにかしたくて頭が休めない。
心も引っ張られるし、体も疲れているのに付き合う羽目になってる。

 

比較的前向きになる考え方は身についているものの
前向きだけではバランスが取れない。
一度落ち込みきるというやり方もあるけど
今回はそれも解消の決定打にならない。

 

モヤモヤしたものを整理しようとした時に
書き出す方法があるけど
ひたすら日記に、ノートに書く方が良い時もあれば
つぶやきやブログのように人の目に触れるもの
思いついたときに適当な紙に書き散らかしたり
方法を1つにまとめられそうにない。

 

ログを残すのが本来の目標でもないのだから
1つにまとめる必要もないのに
時々考えがまとまったような気がして
目の前の宿題の答えが出せた高揚感で
記録できることが財産になる、なんて
どこかで聞いた言葉に影響を受けてしまう。

 

仕事帰りの夜道で自分と対話するのも
誰かと話しているなかで気づくことも
とことん書き出してみることも
毎日触れる人の態度や言葉、行く場所、時間、天気にも出来事にも
影響を受けまくりながら
それ以上に自分が無意識に阻止してたりして
なかなか辿り着けない自分の本心に会いに行く作業だ。

 

ーーー

 

その昔、死にたくなったことがある。
どちらかというと「消えたい」という想いだったと思うんだけど
体の方がはっきり「生きたい」って「言ってきた」と思ったところから
苦悩も至福もやってきた。

 

大切な人たちとの別れで知らなかった感情をたくさん知って
生きてるうちにどうしたいか考えてるうちに
自分の気持ちを大事に思う人達とできるだけ共有したいと思う様になった。

 

気持ちを素直に出すって、言葉では簡単だけれど
日々に追われているとなかなか簡単ではない。

会うこともままならなかったり
会えたところでいきなり告白、とはいかないものだ。

自分の本心にはなかなか辿り着けないのと同じで
素直な気持ちは案外奥ゆかしい。

 

結局生きているうちに伝えきれないことも多くて
言葉を交わせなくなってから写真の前で話すことも多くなったな。

 

自分の気持ちをできるだけ共有したいと思う様になってから
人との関わり方も、上手くないなりに正直素直にやっているのだけれど
外に出ている間は相当素直でいられない緊張感があるらしく
この時期は毎年ヘトヘト。

今はそれに加えて楽しさを見つける限界が来ていて
この時期を乗り越えてどこに行きたいかつい考えてしまう。

だからこそ自分の外に気持ちを出したいと思うのかもしれない。

 

この間行った郡上八幡の道程は楽しかったなぁ。

山の緑と川の流れと美味しいアイスコーヒーと広間の落語。

自然と人のバランスが今にうれしかった。

何かに何かがが囚われているらしい。好きにできるはずなのに。

自分とのつきあいが一番近くて面倒で厄介で大切で面白い。

 

今気持ちが沈んでいても少し待ってみる

もがいててもいいし休んでみてもいいし

気が済むまで逃げてもいいし

安心できる場所があると尚良いかもしれない

真面目に向き合ったりつきあったりする方がしんどくなる時もあるね

 

自分が一番に大切だとしてもひとりでは生きられないし

今孤独に囚われていたとしても

 

あなたはひとりじゃない

 

と思ってくれている人がいる

 

その気持ちを今すぐ受け取れない自分になっている時があるから

今気持ちが沈んでいても少し待ってみよう